2012年10月15日
心の宇宙散策70 内なるよぼよぼ神
内なるよぼよぼ神
朝の連続テレビ小説「鬼太郎の女房」が放映されていた頃、私は、水木しげるの「貧乏神」に刺激されて、自分の内なる「よぼよぼ神」と向き合っていた。
私が名づけたその神は、疲れはてて死を望み、やる気を奪い、ねむりへと誘う力であった。
私は、外にいるときは元気であったが、家では気抜けして、気持ちよく横になっていることが多かった。
なまけなのか、わがままなのか、私は我ながらこれでいいのかと困っていた。
大学の同窓会でこの内なる「よぼよぼ神」のことを話題にすると、皆のそれぞれのつかれはてた気持ちや健康問題が話題になり、話が盛り上がっていった。年齢のせいなのか、仕事がらくになって気がぬけているのか、身体の問題なのか、心の問題なのか。これは医者で解決できる問題ではない。心理劇が好きな私は、「よぼよぼの神」と対話してみることにした。
質問:
よぼよぼ神さん、あなたが現れると、私は、横になって何時間も眠り込んでしまいます。けれど、横になっているとやるべきことや、やりたいことやアイデアも浮かんできます。あなたが、邪魔で困ると思っていたけれど、私の抱えている見えない何かを背負っていてくれているのですか。一体何が不満なのでしょう。自然の豊かな環境の家でくらし、贅沢ではないけれど健康な食事をし、忙しすぎることもなく、いい仕事もあって、お金の心配もいらないという理想的な暮らしです。個性的で誠実な夫は、私がやりたいようにさせてくれているし。人もうらやむストレスのないいい暮らしだと思うのですが・・・なぜですかねえ。
よぼよぼ神の回答:
えみこさん、私は、多分あんたがやり残していることです。終わっていない物語がたくさんあります。私があんたの代わりに背負ってあげているのです。長い人生の中でためてしまった荷物が重くなって前へ進めないでいます。横になると、あんたはその荷物から自由になって、まともに物が考えられるのです。それにあなたは、義務とか責任とかを優先していて、自分自身の人生よりも仕事や周りや他人を優先させています。過去から解放されない限り、生き方が変わらないかぎり、あなたは私を必要とするのです。
この文章は、かなり以前に書いてすっかり忘れていたが、コンピューターを整理していて再会し、少し手直ししたものである。この対話法は、少年院などの教育でよく使われるロールレタリングでの自己探求に近いやり方である。私は、心理劇ののりで、このような見えない存在と日記でよく対話をしていた。
考えてみると、私は、このロールレタリングの続きを実生活でやっていたらしい。近頃、なぜか自分の内なる自我や過去のうらみなどが露わになって出てくるのだ。湧き上がる怒りや涙。自分はこんなつまらないことをまだ気にしているのかと情けない。悔しかったたくさんの出来事、それを見ないようにしてきた私。現実に直面することを避け、理想だけをよしとして、自己を抑圧してきたのかも知れない。
私は保育園で出会った4歳の男の子とのことを思い出す。彼は両親の離婚後、父親に引き取られ、父親の実家で暮らしていた。保育園での彼は、落ち着いていられず、友達と喧嘩し、何かと手のかかる子どもであった。彼のクラスを訪問した時、彼はすぐに外来者の私に関心を示した。私は気をよくしてその子と仲良くなって遊んだのであるが、キュービックマムのカラーセラピイの教材を与えた時、中心からではなく、まわりから色をおいていったことに気付いた。彼は、周りのことをまず気にしてしまう子どもだったのである。
私は、彼と私は同じであると直感した。自分らしく自然でいることができず、周りへ過剰なきづかいをしてしまうのだ。
だから、外来者の私にすぐに関心を示したのだろう。この子は、両親や周りの緊張が気になって、子供らしく自己中心でいられず、周りを伺うのだろうと思えた。人間関係の不安や葛藤の中にいる子どもは、おちついてはいられないのだ。
私の場合、両親は7人の子供を愛し懸命に育ててくれたが、貧乏でお金をめぐっての喧嘩が絶えなかった。その喧嘩を見る度に、幼かった私は泣いて喧嘩しないでと頼んでいたように思う。そして、周りのことを気にしすぎるようになったのかも知れない。人は与えられた運命から、人生のテーマをみつけて発達するのだと思う。
幼い日の私は、「人は皆仲良くできるはずだ、仲よくせねばならない」と強く思い(願い)こんでいた。そして、それが私の人生の重要なテーマになったのである。思い返せば、私の人生は、そのテーマを軸に進んできている。
一人静かにすわって、まわりに翻弄されぎみな自分、自我にとらわれてきた自分をただひたすら真剣にみつめていると、内なる影であるよぼよぼ神は、力を失っていった。まだ現れることはあるが、それほど強くはない。そうして繰り返されてきた私の生きざま・過去のつけが、清算されてきている。
瞑想では、自分の心をひたすら観察し、受け入れることが重要である。いいとか悪いとかではなく、ただみつめ、すべてを受け入れていけばいいのだ。抵抗しないで受け入れていると、本当の自分になり、ナチュラルパワーが動き出すのではないか。今や、内なるよぼよぼ神は、排除の対象ではなく、よき友達である。
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10:30
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2012年06月10日
心の宇宙散策68 人 生 は 投 影 法
投影法は、ロールシャッハテスト(インクのしみのような模様から何が見えてくるかで心を調べる)やTAT(いくつかの絵に物語をつけてもらうことで調べる)などでよく知られている。
インクのしみや絵に人の心を投影させる心理検査法である。
この投影法は、心理テストだけの世界だと思っていたが、実は人生そのものが投影法の世界であると考えた方がいいと思うようになった。
私たちは、自分の周りで起こるさまざまな出来事に自分を投影させて受け取っている。つまり、自分の観点や思いで出来事を捉え、それに意味を付与している。これが自覚できると、特に人間関係においては、客観的な事実というのはあやしいことが分かってくる。見方によって、気持ちの状態によって事実そのものが違って見えていくからである。
例えば、過去に起こったと思っていたことも、時間がたって、年を重ねてものの見方が変化してくると、まったく違う事実になることがある。あるいは、過去の経験がまったく違う事実として、記憶に残っていることがある。
ある青年は、母親は小さい頃、自分の面倒をみることなく、別の女性に育てさせたと話していた。しかし、母親に会ってみて判ったのであるが、そういう事実は全くなかったのである。母親は彼がそう思っていたことにショックを受けていた。
けれど、母親の愛を受け取れなかった彼には、その話の方が、真実味があるのかも知れない。人は、自分の周りで起こっていることを独自の読み方で受け止める。
ある母親は、学校から息子の問題を相談(指摘)される度に、「学年があがる度に問題が報告されて担任が偏見を持っているからで、家庭には問題はない」と学校への不信を感じていた。
しかし、5年生になってスクールカウンセラーと出会うことで、息子の問題(それは発達課題に過ぎないのであったが)が、自分や夫の生き方や性格とつながって見えていった。問題を前向きに捉えるようになるのに5年もかかったのである。
人生の問題はいつも外側から起こってくるように見える。
実際、人は、思いがけない運命にしばしば巡り合う受苦的存在である。けれど、心の問題については、内と外は深くつながっている。人の心の内側には、さまざまの外の情報が無限とも言えるほどに広がっている。そして、人は矛盾や問題と出会って発達するように作られているので、その情報の中から問題を拾い出す。
そして、問題が終わらないままだと、人は何度でも自分の出会う状況に同じ問題をみつけ、それを存在させて、苦しむのである。
人生において、同じ問題が何度も何度も起こる時、そこには、自分の心の投影が現象していると考えた方がいい。
それゆえ、それは内なる心の投影をチェックするチャンスである。それに気づく癖をつけると、繰り返される物語に呪縛されにくくなる。
自然のシステムは、私たちに未解決な心の問題を何度でも現象させる(投影させる)ことで、心の発達のチャンスを与え、真実へと導いてくれるのである。心が解決される時、人生はとても楽になって、悪いことは起こらなくなっていくと思う。
インクのしみや絵に人の心を投影させる心理検査法である。
この投影法は、心理テストだけの世界だと思っていたが、実は人生そのものが投影法の世界であると考えた方がいいと思うようになった。
私たちは、自分の周りで起こるさまざまな出来事に自分を投影させて受け取っている。つまり、自分の観点や思いで出来事を捉え、それに意味を付与している。これが自覚できると、特に人間関係においては、客観的な事実というのはあやしいことが分かってくる。見方によって、気持ちの状態によって事実そのものが違って見えていくからである。
例えば、過去に起こったと思っていたことも、時間がたって、年を重ねてものの見方が変化してくると、まったく違う事実になることがある。あるいは、過去の経験がまったく違う事実として、記憶に残っていることがある。
ある青年は、母親は小さい頃、自分の面倒をみることなく、別の女性に育てさせたと話していた。しかし、母親に会ってみて判ったのであるが、そういう事実は全くなかったのである。母親は彼がそう思っていたことにショックを受けていた。
けれど、母親の愛を受け取れなかった彼には、その話の方が、真実味があるのかも知れない。人は、自分の周りで起こっていることを独自の読み方で受け止める。
ある母親は、学校から息子の問題を相談(指摘)される度に、「学年があがる度に問題が報告されて担任が偏見を持っているからで、家庭には問題はない」と学校への不信を感じていた。
しかし、5年生になってスクールカウンセラーと出会うことで、息子の問題(それは発達課題に過ぎないのであったが)が、自分や夫の生き方や性格とつながって見えていった。問題を前向きに捉えるようになるのに5年もかかったのである。
人生の問題はいつも外側から起こってくるように見える。
実際、人は、思いがけない運命にしばしば巡り合う受苦的存在である。けれど、心の問題については、内と外は深くつながっている。人の心の内側には、さまざまの外の情報が無限とも言えるほどに広がっている。そして、人は矛盾や問題と出会って発達するように作られているので、その情報の中から問題を拾い出す。
そして、問題が終わらないままだと、人は何度でも自分の出会う状況に同じ問題をみつけ、それを存在させて、苦しむのである。
人生において、同じ問題が何度も何度も起こる時、そこには、自分の心の投影が現象していると考えた方がいい。
それゆえ、それは内なる心の投影をチェックするチャンスである。それに気づく癖をつけると、繰り返される物語に呪縛されにくくなる。
自然のシステムは、私たちに未解決な心の問題を何度でも現象させる(投影させる)ことで、心の発達のチャンスを与え、真実へと導いてくれるのである。心が解決される時、人生はとても楽になって、悪いことは起こらなくなっていくと思う。
Posted by 浅野恵美子 at
16:26
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2012年03月31日
2012年03月31日
心の宇宙散策67・・バリ島の魔女ランダ
エヴィデンスや科学的厳密さだけを信じる科学(=近代知)だけでは人間理解は難しい。高度な言葉を駆使した論説も、生身の人間とのつながりが見いだせなければ意味がない。むしろ、祈りのある言葉や物語や文化を通してこそ人間理解は進むのではないか。
それ故、哲学者の中村雄二郎によって広く知られるようになったバリ島の魔女ランダに関心があった。中村はバリ島のコスモロジー(宇宙観、世界観)、特に魔女ランダからヒントを得て、女性原理に通じている受け身の知、体の知、関係の知、演劇知などを導き出したことでよく知られている。
念願かなって、格安ツアーで魔女ランダがいるバリ島へ、実質的には3日だけの滞在であったが、行くことができた。すっかり観光化が進んでいる島の大通りは、オート-バイと車がひしめき、排気ガスがあふれていた。けれど、町や家なみは装飾的で美しく、バリ在住の友人夫妻に案内されたレストランでは、森とつながった空間や竹づくりの大きな円形広場などため息がでるほどの素晴らしいヒーリングスポットにも出会った。
中村が注目したバロン劇(善獣バロンと魔女ランダが主役的存在)を私も見た。それは観光客向けであったが、本当の祭の劇では、演者が恍惚状態になって気がふれる場合もあるようだ。私にとって、日本語で紹介されたその物語は、意味が全く分からなかった。
魔女ランダはいろいろな姿で現れ、災いをもたらし、死に神でもあるのだが、戦いで窮地に陥ると「天国に行かせてくれ」と頼み、死なせてもらう。けれど、ランダの妹分のカリカが現れて、戦いへと強いられ、追いつめられ、全力を振り絞ってランダに変身する。そして、善獣バロンの登場となるが、バロンとランダは同じ力を持っているので、互角に戦って、いつまでも決着がつかない。バロンのいる所には必ずランダがいる。ちなみに、バロンはバリ・ヒンズー教における善の怪獣であり、日本の獅子(シーサー)と同じだそうだ。
私は、その劇の意味を知りたくて、改めて中村氏の著書「魔女ランダ考」(岩波書店 1990年)を読み直した。そして、その理解に苦しむバロン劇の物語の中に、バリ島の世界観、生きる知恵、子どもの教育や人の心を鎮める機能,近代知が排除したものが、活かされているという彼の発見(解釈)を詳しく知ることができた。中村氏は、西洋哲学や諸宗教やバリ島の屋敷の基本や祭りや祈り等をとりあげ多角的にランダという存在の意味について考察している。
それらの内容をすべて理解し、納得できたわけではないし、バリ島こそが理想郷とも思われないが、興味深い内容であり、彼の論説に学んで、カウンセリングに関わっている立場から、魔女ランダという存在から私たちは何を学びうるのかについて考えてみた。
一つは、バリ島では、悪い魔法(魔女)という存在を暮らしの中で常に意識し、存在させ、その霊力を恐れて花などをささげて祈っているが、それは何故なのか。バリでは祈りや祭りが非常に多く、娯楽的な側面もあり、かなりのお金をつぎ込んでなされている。土地のあちこちに、祈りの花や食べ物が捧げられ、道路にまで花がおいてあった。それは、悪の魔力を鎮める営みであるが、死を意識する効果もあるようである。
考えてみれば、人間は悪い魔法にかかるものだ。思い込みや不安(あるいは妄想)から抜けられなくなってしまうことは、多少は誰にでも起こっている。ひどい犯罪は魔力かも知れない。
愛知で2000年に起こった子ども殺人事件はそれを思い出させる。殺人を犯したその母親は、幼い息子の受験ライバルの子どもに殺意をいだき、その殺意が頭から離れなかった。「人を殺すかも知れない」と夫に告白したが、夫には意味がつかめなかった。そして、母親はとうとう息子のライバルとされた子どもを本当に殺してしまったのである。
人は、思いもかけない内なる魔力に翻弄されることがあると考えた場合、バリの人々はそれに警戒しながら暮らす文化を育てていると考えられる。
二つは、バリ島の宇宙観は、私たちが考える単純な善悪論ではないことである。善の側とされるバロンも怪獣であって絶対的な善ではない。私たちはいい人であることが、当たり前だと思いがちであるが、そうではない。現実の人間の心は、善と悪にきれいに分けられるものではない。悪が善になり、善が悪になるのであって、悪と善はいつも同居しているのだ。光があるから影が見え、影の中にいるから光がいきてくる。これは、絶対矛盾であり、私たちはそこから逃れることはできない。近代人はそのことを忘れがちであるが、これが人間の自然なのである。
この和解できない永遠の矛盾を引き受けることが人生だというバリ島の隠された教えは、注目に値する。人は矛盾の只中でいきて、変化適応し、生き残っていくものである。
三つは、ダブルバインド(二重拘束)の考えを見いだしたグレゴリー・ベイトソンが、バロン劇を「子どもにとって母親の何たるかを知り母親から独立する為の劇」(上掲書p195)であり、「人為的にダブルバインド状況を作り出しつつ、それから自由になる訓練」(p196)とみなしているとされる観点が興味深い。
ベイトソンは、ダブルバインドの考えをバリ島からヒントを得て考えたそうだ。それは、父と母の和解できない葛藤の中で、どっちにもつけない子どもの苦境ともつながっているだろう。私は、女性相談で夫婦の問題で悩む女性たちに出会っているが、男と女の関係の難しさを考えさせられている。男と女、父と母は、完全和解は難しいと考える方が現実的かもしれない。
魔境に陥り易い人の心、受苦的存在としての人間(受け身の知)、すっきりできない人間関係を私たちはどう引き受け、昇華・発散させているだろうか。
( 注;ダブルバインドとは、例えば、母親が「キスはしてくれないの」と子どもに言いつつ、実際はキスされることを望んでいない場合のように、子どもの側が二重に縛られ、動きがとれず、何もできなくなる状態に追い込まれている関係のことである。)
Posted by 浅野恵美子 at
11:45
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2012年01月21日
2012年01月21日
2011年12月10日
心の宇宙散策66号 ・・・恋・セックス・心の発達
「男らしく」とか、「女らしく」ではなく、「自分らしく」(ジェンダーフリー)が叫ばれて久しい。
男女の問題は、それですむほど単純ではないが、小さな性差ではなく、密室化される恋愛やセックスにおいて、お互いを大事にできるマナーが問われている。
愛と言う名の支配や甘えが、DV(暴力)になってしまうことも少なくないからだ。
初恋は、相手との現実の関係ぬきに想像的に大きくなる。その恋は、幻想・夢であり、破れる運命にある。けれど、恋は、自分自身を高めようとする強い純粋な動機を生み出す。
S華は、自分の恋は片思いであることを感じていたが、その現実を受け入れることが出来なかった。いつかは好きになってもらえるかもしれないと何年も思い続け、相手にふさわしい自分になろうとした。そして、失恋を受け入れる用意ができた時、告白して予想通り失恋した。
失恋に耐えることで人の心はたくましくなる。失恋は、大好きな相手から「ノー」を突きつけられることであり、人生の危機であるが、他人は思うようにならないことを心底学ぶ機会である。
S華は、失恋によって、少し大人になり、恋愛に耐えうる強さを得たのだと思われる。
K子は、考え深いまじめな性格であった。D介から「好きだ、付き合って欲しい」と言われた時、いろいろと考えた末に、「嫌いな訳ではない」ということで、付き合うことにした。
二人のまじめな付き合いは、しばらく続いたが、D介は別の女性の方に心が向いていってしまった。そして、D介は去り、残された彼女は、一人もんもんと苦しむことになった。
自分に何の落ち度があったというのか。恋は終わったと頭で思っても、気持ちではなかなか終わらなかった。
長い間、考え続けた結果、自分がまじめすぎて彼を拘束していたことに気づいた。愛という名の支配であったのだと思えた。こうして、彼女の恋物語はやっと終わった。
セックスでの男性遍歴のあるM代が、教えてくれた話によると、セックス、つまり肉体での相性というものはあるそうである。けれど、自分の心に力を与えてくれるのは、セックスではなく、愛なのだそうだ。
セックスは肉体のつながりであり、愛は心・魂の繋がりかもしれない。身体と心の双方がうまくつながるのはなかなかむずかしい。恋愛関係においては、セックスを急ぐことなく、ていねいに相互の信頼を築いていかねば続かない。
今、性が商業ペースで著しく歪められている。性犯罪のモデルは、商業化された性情報によるものが多い。快楽主義的な性は、相手を欲望の手段にする。それは、性不感症に通じている。
快楽主義に陥っている人は、セックスを冒涜することで、セックスの真の喜びと相互の絆(信頼)の大切さを見失う。
セックスは神聖なものとして、ていねいに扱わねばならない。そうすることで、信頼とセックスの喜び、そして人間としての発達もついてくるのである。
Posted by 浅野恵美子 at
00:48
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2011年11月14日
心の宇宙散策65 妄想のルーツ
最近、妄想の正体が、分かってきたように思えている。人は受け入れがたいことを妄想によって存在させるのではないか。
思えば、私にも妄想に近い体験がある。ある友人が、精神障害者であるとしか思えなかったのだ。回りと会わせきれず、未熟だったので、その友人の理解ができなくて、歪んでしか見えなかったのだろうと思う。
それなので、精神科デイケアに関わっていた頃、メンバーの一人が「みんな、家事で焼け死んでしまえばいい」と言い放っても驚かなかった。
そこにいた友だちの一人は、「精神障害者だからそんなことを言うのだ」という顔で私の方を見たが、私は自分の経験を思い出し、「そういう気持ちになることはあるね」と応じることができた。
宗教も妄想を起こさせることがある。夫と共にアメリカに渡ったSさんは、友だちが欲しいこともあって教会へ通ったそうだ。けれど、教会へ通うようになると、心の中で神様がいつも彼女についてまわり、彼女を支配するようになった。
何をするにも神様や牧師の話が彼女についてまわった。神様は、彼女を支える存在ではなく、彼女を支配する存在になっていた。彼女は、「これはおかしい」と考えて教会から離れた。
Mさんの場合は、宗教から離れたのに、「シネ、シネ」という声が聞こえ、神様から見張られている妄想が起こった。
彼女は、ある宗教に頼って何とか生きていこうとしたが、ついていけなくなった。自分が自分でなくなってしまいそうで、その宗教から離れたのだが、意識は離れても無意識で縛られていていたらしい。それで、あたかも外からのような妄想となって彼女を振りまわしたのであった。
長い間、刑務所にいた人の場合も、刑務所を出ても心が刑務所にいることがある。刑務所の監視の目が、心の中で続いていて、「見張られている妄想」となってしまうのである。
その症状は、拘禁反応とか仮釈放神経症とよばれる。
栗原徹郎の調査によると、中野刑務所(犯罪が進んでない者を収容する施設)の353名の仮釈放者 ( 1960年当時)の内、27名が心因反応を起こした。27才以上はいなくてすべて財産犯だったという。
他人の目に過敏にならざるを得ない財産犯(泥棒)であったこと、刑務所で監視されたこと、自意識過剰になりやすい若い年齢であることなどが関与していたと思われる。
人は、いつのまにか、誰からも強制されていないのに自分で牢獄をつくってしまう。
親や夫や妻にいつまでも縛られ、死んだ人に縛られ、占いの言葉に縛られ、モラルに縛られてしまう。
そんな状況に陥った時には、一人静かな時をもち、妄想と対話し、妄想に決着をつけ、はっきりと別れを告げねばならない。
Posted by 浅野恵美子 at
14:01
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2011年10月28日
心の宇宙散策64 色による心理発見
キュービック・マム・・・色による心理発見
色彩コンサルタントの山内暢子さんは、何十年もの研究によって、カラーセラピーのキュービック・マムという親子関係を育てる教材を開発した。それは、色を楽しみつつ心理検査的にも活用ができる教材である。
彼女とのご縁で、貴重な講義を受けさせていただき、それを相談で研究的に取り上げて活用している。この遊び的な検査は(ここでは内容の詳しい紹介はできないが)、特に個性的なキャラクターの持ち主を私が理解するのを助けてくれた。
例えば、スクールカウンセリングでは、ADHDと言われていたY君(小3)の理解に役にたった。Y君は教室でおちつきがなく、先生泣かせの生徒であった。
家でも注意散漫で目の前の状況が見えていなくて、階段でつまずいたり、自分の目の前に欲しいものはあるのにないと騒いだりが見られ親も手をやいていた。
遊戯的面談での私との関係では、さほど困った生徒ではなく、こちらの意向をくみ取れない固さがあるものの、言葉達者で、むずかしい言葉を話す賢い生徒であった。彼と私はとても仲良しになった。
私は、彼に「研究だ」と言ってキュービック・マムを与えていたので、彼は、「自分は一緒に研究している」と母親に自慢していたらしい。
彼は、紫色に執着する傾向が見られたので、彼のパーソナリテイ・カラーを調べてみた。すると、紫色のパーソナリテイ・カラーの特徴とY君の特徴とがぴったり一致した。
紫色のパーソナリテイ・カラーの子どもは、「外への関心よりも自分に対する関心が極端に強いので、自分のやり方でやることが最も大切・・・自分の内側でじっくり考える傾向があるので、他人に自分の世界を干渉されるのを嫌い・・・・自分らしさを求めてこだわります」(キュービック・マム・ワークブックより)とのことである。
彼は、まさにそのことで周りとうまく関われないでいた。色と資質がピタリとつながったことが、私にとっては新鮮な発見だった。
私は、母親にもその結果を伝えた。彼の場合は、本人のこだわりを周りが受け入れながら関わることが重要であったのである。
あまり生徒に気を使うことがない、個性的なM先生を理解するのを助けたのもこの教材である。
学校で、その教材に興味をもって、試しに来られた先生方の中にたまたまM先生もおられた。
彼女が並べた五つの色は、外向きのエネルギーを示す暖色系ばかりであった。「内向きにはならないですね。あまり深くは考えないでしょう」とあっさり言ってみると「そうです」と返ってきた。
彼女は、演劇好きで自己表現に主な関心があり、あまり考えないのだそうだ。彼女に批判的な同僚もいたが、彼女はそういう人だったのだ。
キュービック・マムは、その子(人)らしさに気付かせてくれたと思う。
色彩コンサルタントの山内暢子さんは、何十年もの研究によって、カラーセラピーのキュービック・マムという親子関係を育てる教材を開発した。それは、色を楽しみつつ心理検査的にも活用ができる教材である。
彼女とのご縁で、貴重な講義を受けさせていただき、それを相談で研究的に取り上げて活用している。この遊び的な検査は(ここでは内容の詳しい紹介はできないが)、特に個性的なキャラクターの持ち主を私が理解するのを助けてくれた。
例えば、スクールカウンセリングでは、ADHDと言われていたY君(小3)の理解に役にたった。Y君は教室でおちつきがなく、先生泣かせの生徒であった。
家でも注意散漫で目の前の状況が見えていなくて、階段でつまずいたり、自分の目の前に欲しいものはあるのにないと騒いだりが見られ親も手をやいていた。
遊戯的面談での私との関係では、さほど困った生徒ではなく、こちらの意向をくみ取れない固さがあるものの、言葉達者で、むずかしい言葉を話す賢い生徒であった。彼と私はとても仲良しになった。
私は、彼に「研究だ」と言ってキュービック・マムを与えていたので、彼は、「自分は一緒に研究している」と母親に自慢していたらしい。
彼は、紫色に執着する傾向が見られたので、彼のパーソナリテイ・カラーを調べてみた。すると、紫色のパーソナリテイ・カラーの特徴とY君の特徴とがぴったり一致した。
紫色のパーソナリテイ・カラーの子どもは、「外への関心よりも自分に対する関心が極端に強いので、自分のやり方でやることが最も大切・・・自分の内側でじっくり考える傾向があるので、他人に自分の世界を干渉されるのを嫌い・・・・自分らしさを求めてこだわります」(キュービック・マム・ワークブックより)とのことである。
彼は、まさにそのことで周りとうまく関われないでいた。色と資質がピタリとつながったことが、私にとっては新鮮な発見だった。
私は、母親にもその結果を伝えた。彼の場合は、本人のこだわりを周りが受け入れながら関わることが重要であったのである。
あまり生徒に気を使うことがない、個性的なM先生を理解するのを助けたのもこの教材である。
学校で、その教材に興味をもって、試しに来られた先生方の中にたまたまM先生もおられた。
彼女が並べた五つの色は、外向きのエネルギーを示す暖色系ばかりであった。「内向きにはならないですね。あまり深くは考えないでしょう」とあっさり言ってみると「そうです」と返ってきた。
彼女は、演劇好きで自己表現に主な関心があり、あまり考えないのだそうだ。彼女に批判的な同僚もいたが、彼女はそういう人だったのだ。
キュービック・マムは、その子(人)らしさに気付かせてくれたと思う。
Posted by 浅野恵美子 at
21:40
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2011年10月21日
心の宇宙散策63 内なる親支配からの脱出
内なる親支配からの脱出・・・大人になってからの親批判
名古屋にいた頃、沖縄から出稼ぎにきていたK男の相談にのっていたことがある。彼は精神的な不安定さをかかえながら、親のサポートで何とか生きていた。
相談の度にでる彼の話は、母親非難ばかりであった。彼がこうなってしまったのは、彼のすべてを決め、押しつけてきた母親のせいであった。
何度も繰り返えされる母親批判に、私はつまらなくなった。壊れたレコードのように同じ箇所が何度も繰り返されていた。
いつまで自分の不幸を母親の責任にして生きていくのか。そんな親のもとに生まれた自分の運命を引き受けて、前に進んで欲しいと願った。
そして、誰かが言ってあげた方がいいと考え、私はそれを口にした。彼は、受け入れられなかったらしく、ずるずると返さないでいた本を送り返して、相談に来なくなった。
親しくなったM美の親否定・批判は、様子が違っていた。彼女は何年も親との連絡をたって暮らしていた。
友人はいたが、孤独な日々を過ごしていた。初めは、働いて貯めた貯金をくずして暮らしていたが、なくなると仕事をみつけて働き、経済的には自立できていた。
彼女の父親は、彼女を殴り、悪い言葉をあびせて育てたようだ。母親もそれについて何もしなかった。学校ではいじめにあったが、一人で戦って負けなかった。
心は絶望していただろうが、非行化することもなく、病気にもならず、大人になれたのは奇蹟というべきである。彼女の負けん気がそうさせたのだろうが、親が、彼女に厳しく、有無を言わせずに育てたからであろう。
非行化できていれば、まだましだったかもしれないと彼女は後になって思った。人づきあいに力が入りすぎて緊張した。表面上は話上手で人つきあいはできたが、打ち解けることができず何かが欠けていた。
母親が、どうして親を避けるのか聞いてきた時、彼女ははっきりと「あなたたちが嫌いである」と告げた。彼女が親から受けた仕打ちが、いかに酷いものであったか。
30代の後半に入っていた彼女は「こうなったのはあなたがたがやってきた結果であり、いまさら何をやっても手遅れである。」とはっきり宣言した。
両親はびっくりし、父親は慰謝料を払って許して貰おうとしたが彼女は父親の考えることにあきれ断った。母親は、ショックで心療内科に通うようになった。
親に逆らえなかった子どもが、大人になって、過去のことだとはいえ、はっきりと「親に言える力」をつけたことの意義は大きい。
M美の場合は、親への憎しみを親に告げることで、怒りのエネルギーが抜けて、優しい顔になった。自分の中に抱え込んでいた親の問題を、親に渡すことができたからである。
自分の運命を引き受けて戦った彼女はアッパレというべきである。
親は、大人になっている子どもから過去のことで非難されると、「今頃そんなことを言われても困るし、自分の人生の不幸を親のせいにしている」としか思えないこともある。
けれど、親も辛いだろうけれど、その厳しい批判を受け止めて、人間として成長していかねばならない。
名古屋にいた頃、沖縄から出稼ぎにきていたK男の相談にのっていたことがある。彼は精神的な不安定さをかかえながら、親のサポートで何とか生きていた。
相談の度にでる彼の話は、母親非難ばかりであった。彼がこうなってしまったのは、彼のすべてを決め、押しつけてきた母親のせいであった。
何度も繰り返えされる母親批判に、私はつまらなくなった。壊れたレコードのように同じ箇所が何度も繰り返されていた。
いつまで自分の不幸を母親の責任にして生きていくのか。そんな親のもとに生まれた自分の運命を引き受けて、前に進んで欲しいと願った。
そして、誰かが言ってあげた方がいいと考え、私はそれを口にした。彼は、受け入れられなかったらしく、ずるずると返さないでいた本を送り返して、相談に来なくなった。
親しくなったM美の親否定・批判は、様子が違っていた。彼女は何年も親との連絡をたって暮らしていた。
友人はいたが、孤独な日々を過ごしていた。初めは、働いて貯めた貯金をくずして暮らしていたが、なくなると仕事をみつけて働き、経済的には自立できていた。
彼女の父親は、彼女を殴り、悪い言葉をあびせて育てたようだ。母親もそれについて何もしなかった。学校ではいじめにあったが、一人で戦って負けなかった。
心は絶望していただろうが、非行化することもなく、病気にもならず、大人になれたのは奇蹟というべきである。彼女の負けん気がそうさせたのだろうが、親が、彼女に厳しく、有無を言わせずに育てたからであろう。
非行化できていれば、まだましだったかもしれないと彼女は後になって思った。人づきあいに力が入りすぎて緊張した。表面上は話上手で人つきあいはできたが、打ち解けることができず何かが欠けていた。
母親が、どうして親を避けるのか聞いてきた時、彼女ははっきりと「あなたたちが嫌いである」と告げた。彼女が親から受けた仕打ちが、いかに酷いものであったか。
30代の後半に入っていた彼女は「こうなったのはあなたがたがやってきた結果であり、いまさら何をやっても手遅れである。」とはっきり宣言した。
両親はびっくりし、父親は慰謝料を払って許して貰おうとしたが彼女は父親の考えることにあきれ断った。母親は、ショックで心療内科に通うようになった。
親に逆らえなかった子どもが、大人になって、過去のことだとはいえ、はっきりと「親に言える力」をつけたことの意義は大きい。
M美の場合は、親への憎しみを親に告げることで、怒りのエネルギーが抜けて、優しい顔になった。自分の中に抱え込んでいた親の問題を、親に渡すことができたからである。
自分の運命を引き受けて戦った彼女はアッパレというべきである。
親は、大人になっている子どもから過去のことで非難されると、「今頃そんなことを言われても困るし、自分の人生の不幸を親のせいにしている」としか思えないこともある。
けれど、親も辛いだろうけれど、その厳しい批判を受け止めて、人間として成長していかねばならない。
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14:38
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2011年09月18日
心の宇宙散策62 生きることは人生からの問いに答えること
V・E・フランクルの「それでも人生にイエスという」(春秋社)を読むと、強制収容所とからんだ話であるにもかかわらず、今の私たちの心と深くつながってくることに驚く。
「かつてニーチェは、来るべき数世紀の予言として「神の死」を告げた。神の死とは、我々の人生を意味づける超越的根拠が無化し、その結果いっさいの価値が相対化し、根底において無化することである。われわれは自らを支える絶対的根拠を欠いたまま、無の深淵の上にさしかけられている。」(p169)
フランクルによると、人間にとってもっとも重要なことは、「生きる意味」であり、生きる意味は、自分が考え出すのではなく、人生からの挑戦をうけて、それに答えることで見つかる。強制収容所では、生きる意味が見いだせない人は生き残れなかった。誰かから待たれていたり、やらねばならない仕事があった人は、自分を見失わずに生き残ったのである。
話は変わるが、私の兄は、今深刻な脳梗塞の手術をへて病床にいる。つまっていた脳血管の血栓を取り除き、脳の血液の流れを回復させる危ない手術は成功し、身体は少しずつ動けるようになってきているが、記憶の障害は何ともならないと言われている。
見舞いに行っても会話は少なく、わずかであり、私を認識できないこともあり、何もしてやれない気持ちであった。けれど、思いついて足に手当てをして共にいることにした。足の冷たさが伝わった。しばらく触れていると閉じがちの目がぱっちり開いた。そして、「父ちゃんはもう何もやることないなー」とぽつりと言った。
夢をみているのか、私を娘と思ったのかわからない。そこから会話をしていくと「おれの人生はもうお終いかなー」とつぶやく。「死ぬことは心配いらないらしいよ。生きる必要があれば生きるよ・・・」などと答えたが、「死ぬことは心配していない」という。こんな情況で、兄は、生きている意味をどう見いだすのだろうか。
次の見舞いでは、姉と姪と私の3人で触れてやり、「3人の美女に触られて幸せだねー」と昔話をしながらからかった。すると、まんざらでもなさそうに「幸せだ」と答えていた。
頭に触れてみるとじりじりと熱を帯びているのが分かる。「少しは気持ちいい?」と訪ねると「すこし気持ちいい」という。そして、「この頭は治るだろうか」とつぶやいた。
兄が治って生き残れるのかはわからない。けれど、問題は、治るか治らないかではなかった。兄を通して出された人生からの問いに、向き合い、兄とのささやかな幸せな時がうまれ、逆に私が励まされていたのである。
共にいたこと、触れ合えたことに生きている意味があった。
「もし、それを私がしなければ誰がするであろうか。しかし、もし私が自分のためにだけそれをするのなら、私は何であろうか。そして、もし私がいましなければ、いつするのだろうか」(P56)との言葉は、人は人生から問われて生きるということの真理を示している。
「かつてニーチェは、来るべき数世紀の予言として「神の死」を告げた。神の死とは、我々の人生を意味づける超越的根拠が無化し、その結果いっさいの価値が相対化し、根底において無化することである。われわれは自らを支える絶対的根拠を欠いたまま、無の深淵の上にさしかけられている。」(p169)
フランクルによると、人間にとってもっとも重要なことは、「生きる意味」であり、生きる意味は、自分が考え出すのではなく、人生からの挑戦をうけて、それに答えることで見つかる。強制収容所では、生きる意味が見いだせない人は生き残れなかった。誰かから待たれていたり、やらねばならない仕事があった人は、自分を見失わずに生き残ったのである。
話は変わるが、私の兄は、今深刻な脳梗塞の手術をへて病床にいる。つまっていた脳血管の血栓を取り除き、脳の血液の流れを回復させる危ない手術は成功し、身体は少しずつ動けるようになってきているが、記憶の障害は何ともならないと言われている。
見舞いに行っても会話は少なく、わずかであり、私を認識できないこともあり、何もしてやれない気持ちであった。けれど、思いついて足に手当てをして共にいることにした。足の冷たさが伝わった。しばらく触れていると閉じがちの目がぱっちり開いた。そして、「父ちゃんはもう何もやることないなー」とぽつりと言った。
夢をみているのか、私を娘と思ったのかわからない。そこから会話をしていくと「おれの人生はもうお終いかなー」とつぶやく。「死ぬことは心配いらないらしいよ。生きる必要があれば生きるよ・・・」などと答えたが、「死ぬことは心配していない」という。こんな情況で、兄は、生きている意味をどう見いだすのだろうか。
次の見舞いでは、姉と姪と私の3人で触れてやり、「3人の美女に触られて幸せだねー」と昔話をしながらからかった。すると、まんざらでもなさそうに「幸せだ」と答えていた。
頭に触れてみるとじりじりと熱を帯びているのが分かる。「少しは気持ちいい?」と訪ねると「すこし気持ちいい」という。そして、「この頭は治るだろうか」とつぶやいた。
兄が治って生き残れるのかはわからない。けれど、問題は、治るか治らないかではなかった。兄を通して出された人生からの問いに、向き合い、兄とのささやかな幸せな時がうまれ、逆に私が励まされていたのである。
共にいたこと、触れ合えたことに生きている意味があった。
「もし、それを私がしなければ誰がするであろうか。しかし、もし私が自分のためにだけそれをするのなら、私は何であろうか。そして、もし私がいましなければ、いつするのだろうか」(P56)との言葉は、人は人生から問われて生きるということの真理を示している。
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21:56
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2011年07月03日
心の宇宙散策60 妻の自立・・・夫からの自由
貧しく、口下手で、化粧もせず、納得いく人生を求めて模索しているある女性と話していて、私の中で、何かが騒いだ。その思い・願いがきらきらと光って見え、同じ女として、応援する気持ちが強く湧き上がったのだった。
彼女は日々の暮らしの中での夫への不信感をかかえていた。高等教育を受けておらず、世の中を知らず、経済的に夫に依存し、自分の力不足を恥ずかしく思っていたが、こんな夫婦関係はおかしいという確信だけははっきりしていた。
それは子どもたちと行動を共にする中で、いろいろなことが分かってきて、支配されて辛抱して生きていることへの疑問が沸いてきていたこともあった。結婚して25年、妻を支配し、バカ扱いし、思いやりを示すことのない夫を愛することができない。夫が許せなくて、夫が差し出すものを拒否することもあった。
いっそ離婚できればいいのだが、別れた後、仕事のあてもなく、お金もなく、子ともたちと生きていける見通しは立たない。それに離婚してしまえば、今まで耐えて頑張ってきた自分の人生がすべて無駄になってしまう。離婚は現実的ではなかった。夫は仕事をまじめにこなし、家計を何とか支えてくれるものの、うらみはたまっていくばかりであった。
こういう関係に陥ったのは、彼女のひがみも関与していたと思われるが、きつい言葉をはく夫は妻をなだめる術を知らないのだと思われた。妻を支配してこそ男の顔が立つと思っているのかも知れない。
あるいは、妻は感情的で付き合いきれないと思っているかもしれない。賢い男は、「お前が一番大事だ」とそう思っていなくても妻に言うことができ、妻を立てる。その一言で妻はむくわれ、夫婦関係は維持されるのだが、その一言が言えない。夫たちは妻とのかかわり方をもっと学ぶ必要があるのではないか。
彼女を通して、女性が経済的自立なしで男性と対等になるのは難しいと改めて考えさせられた。夫に抱え込まれていては、対等に向き合って、相互に成長することは難しい。妻が外で仕事をして経済力をつけたなら、少しは世の中がわかってきて、夫から精神的に自立しやすいだろう。
そうなれば、妻は子どものように受け身になって自分の感情に囚われてしまうこともないだろう。夫の支配的な態度に「ノー」と言うこともできるだろう。離婚の自由も得られるだろう。ストレスから暴力をふるう夫の餌食になることもないだろう。
私は、遠慮深い彼女に「あなたはこれまでよく頑張ってきた。あなたはそのままで素晴らしい。夫やまわりの言葉に振りまわされて苦しむことはもう終わりにしよう。
自分で自分を誉めよう。あなたには、子どもたちという大きな理解者がいる。夫の方が寂しいかもしれない。あなたが主導権をとって家族関係を変えることができる」と何度も言って聞かせた。
彼女は、頷き、「いい意見を聞かせてくれてありがとう」と驚きながらも笑顔で答えた。これは彼女だけの問題ではなく、多くの夫婦が多少は通る道であり、夫婦関係の発達の一コマであると思われる。
彼女は日々の暮らしの中での夫への不信感をかかえていた。高等教育を受けておらず、世の中を知らず、経済的に夫に依存し、自分の力不足を恥ずかしく思っていたが、こんな夫婦関係はおかしいという確信だけははっきりしていた。
それは子どもたちと行動を共にする中で、いろいろなことが分かってきて、支配されて辛抱して生きていることへの疑問が沸いてきていたこともあった。結婚して25年、妻を支配し、バカ扱いし、思いやりを示すことのない夫を愛することができない。夫が許せなくて、夫が差し出すものを拒否することもあった。
いっそ離婚できればいいのだが、別れた後、仕事のあてもなく、お金もなく、子ともたちと生きていける見通しは立たない。それに離婚してしまえば、今まで耐えて頑張ってきた自分の人生がすべて無駄になってしまう。離婚は現実的ではなかった。夫は仕事をまじめにこなし、家計を何とか支えてくれるものの、うらみはたまっていくばかりであった。
こういう関係に陥ったのは、彼女のひがみも関与していたと思われるが、きつい言葉をはく夫は妻をなだめる術を知らないのだと思われた。妻を支配してこそ男の顔が立つと思っているのかも知れない。
あるいは、妻は感情的で付き合いきれないと思っているかもしれない。賢い男は、「お前が一番大事だ」とそう思っていなくても妻に言うことができ、妻を立てる。その一言で妻はむくわれ、夫婦関係は維持されるのだが、その一言が言えない。夫たちは妻とのかかわり方をもっと学ぶ必要があるのではないか。
彼女を通して、女性が経済的自立なしで男性と対等になるのは難しいと改めて考えさせられた。夫に抱え込まれていては、対等に向き合って、相互に成長することは難しい。妻が外で仕事をして経済力をつけたなら、少しは世の中がわかってきて、夫から精神的に自立しやすいだろう。
そうなれば、妻は子どものように受け身になって自分の感情に囚われてしまうこともないだろう。夫の支配的な態度に「ノー」と言うこともできるだろう。離婚の自由も得られるだろう。ストレスから暴力をふるう夫の餌食になることもないだろう。
私は、遠慮深い彼女に「あなたはこれまでよく頑張ってきた。あなたはそのままで素晴らしい。夫やまわりの言葉に振りまわされて苦しむことはもう終わりにしよう。
自分で自分を誉めよう。あなたには、子どもたちという大きな理解者がいる。夫の方が寂しいかもしれない。あなたが主導権をとって家族関係を変えることができる」と何度も言って聞かせた。
彼女は、頷き、「いい意見を聞かせてくれてありがとう」と驚きながらも笑顔で答えた。これは彼女だけの問題ではなく、多くの夫婦が多少は通る道であり、夫婦関係の発達の一コマであると思われる。
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2011年07月03日
心の宇宙散策61 和解を育てるネイティブハワイアンの秘法
現在、大ブームになっているホ・オポノポノとは、ネイティブハワイアンの伝統的な問題解決法であり、秘法である。
「愛しています。ごめんなさい。許して下さい。ありがとう。」と言うだけで、自己も人も幸せになれるという。それが、人の潜在意識に巣くうコンプレックスを無力化し、心身に偉大な叡知を浸透させ,和解(=ポノ)を育てるのである。
この秘法を日本に流行らせたヒューレン博士は、凶暴な精神病犯罪者たちを収容しているある施設に就任して、収容患者の一人一人の記録に目を通しながら、「愛しています。ごめんなさい。あなたを精神病にしてしまっている私の偏見を赦してください。ありがとう。」と語りかけた。
精神病犯罪者たちを非難せず、自分の方の偏見を正したのである。それが、収容者を偏見のないまなざしで見つめる鏡となって収容者たちを変えたのではないかと思う。
その結果、収容者たちも職員も変わって、とうとう施設そのものがいらなくなったというから驚きである。どこまで本当かしらとも思うが、語られていない他の要素も作用したであろう。
「原典 ホ・オポノポノ 癒しの秘法」(マックス・ロング著)の本を読むと、ネイティブハワイアンの深くて広い人間観、世界観、霊界観がわかっていった。特に、葛藤する人と人、祖先の霊との和解を取り持って、病気や災いを癒すヒーラーであるカフナの仕事ぶりには驚いた。
カフナ(ハワイの秘法の継承者)による癒しの事例を紹介しよう。
先住民の女性は、理由なく自分から去っていった恋人をうらみ、先祖に愚痴を並べるが、それが呪いとなってその青年に作用したらしい。青年は病気や事故に頻繁にみまわれ、ついにカフナに頼らざるをえなくなる。
カフナは、青年の状況をいろいろ聞き、元恋人の祖母の霊の仕業であることを見出す。そこで、青年を元恋人のもとに送って、謝罪と償いをさせる。青年が、何度も誠実に許しを請うと、かたくなだった娘の心は徐々に変わる。
次に、カフナは、その女性の祖母の霊との和解の祈りの儀式を行い、問題を解決させ謝礼を受け取る。その後、青年は、病気や事故に合うことはなくなる。
死んだ霊も現実に生きている人々の人間関係にふかく絡んでいることには驚く。又、青年が父親の期待に縛られて、釈明もせずに娘と別れ、罪悪感をもっていたことも重要である。罪悪感がないと霊は本人を病気にすることはできないらしい。
けれど、その代わりに、周りの身近な人に災いがかかる。沖縄でのユタの考えと共通することがあるものの、ハワイのやり方は、沖縄と違って当事者の対話を促し、和解を育てているのがいいと思う。
F・P・クインビーは、「どんな病も不調も人の心が作り出したものである。この大真理を知って信じれば、癒しが結果する」と教えている。選び抜かれた言葉による祈りによって、当事者の心と関係が癒されて病や災いは消えていく。
ここには平和を招く知恵と方法がある。
「愛しています。ごめんなさい。許して下さい。ありがとう。」と言うだけで、自己も人も幸せになれるという。それが、人の潜在意識に巣くうコンプレックスを無力化し、心身に偉大な叡知を浸透させ,和解(=ポノ)を育てるのである。
この秘法を日本に流行らせたヒューレン博士は、凶暴な精神病犯罪者たちを収容しているある施設に就任して、収容患者の一人一人の記録に目を通しながら、「愛しています。ごめんなさい。あなたを精神病にしてしまっている私の偏見を赦してください。ありがとう。」と語りかけた。
精神病犯罪者たちを非難せず、自分の方の偏見を正したのである。それが、収容者を偏見のないまなざしで見つめる鏡となって収容者たちを変えたのではないかと思う。
その結果、収容者たちも職員も変わって、とうとう施設そのものがいらなくなったというから驚きである。どこまで本当かしらとも思うが、語られていない他の要素も作用したであろう。
「原典 ホ・オポノポノ 癒しの秘法」(マックス・ロング著)の本を読むと、ネイティブハワイアンの深くて広い人間観、世界観、霊界観がわかっていった。特に、葛藤する人と人、祖先の霊との和解を取り持って、病気や災いを癒すヒーラーであるカフナの仕事ぶりには驚いた。
カフナ(ハワイの秘法の継承者)による癒しの事例を紹介しよう。
先住民の女性は、理由なく自分から去っていった恋人をうらみ、先祖に愚痴を並べるが、それが呪いとなってその青年に作用したらしい。青年は病気や事故に頻繁にみまわれ、ついにカフナに頼らざるをえなくなる。
カフナは、青年の状況をいろいろ聞き、元恋人の祖母の霊の仕業であることを見出す。そこで、青年を元恋人のもとに送って、謝罪と償いをさせる。青年が、何度も誠実に許しを請うと、かたくなだった娘の心は徐々に変わる。
次に、カフナは、その女性の祖母の霊との和解の祈りの儀式を行い、問題を解決させ謝礼を受け取る。その後、青年は、病気や事故に合うことはなくなる。
死んだ霊も現実に生きている人々の人間関係にふかく絡んでいることには驚く。又、青年が父親の期待に縛られて、釈明もせずに娘と別れ、罪悪感をもっていたことも重要である。罪悪感がないと霊は本人を病気にすることはできないらしい。
けれど、その代わりに、周りの身近な人に災いがかかる。沖縄でのユタの考えと共通することがあるものの、ハワイのやり方は、沖縄と違って当事者の対話を促し、和解を育てているのがいいと思う。
F・P・クインビーは、「どんな病も不調も人の心が作り出したものである。この大真理を知って信じれば、癒しが結果する」と教えている。選び抜かれた言葉による祈りによって、当事者の心と関係が癒されて病や災いは消えていく。
ここには平和を招く知恵と方法がある。
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08:40
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2011年06月14日
心の宇宙散策59 中学3年生の学び
聡君(仮名)は、おおらかな印象を与える中学3年生であり、学校での人間関係は良好であった。一学期が終わると彼は皆と同じように受験生として大好きなサッカー部を引退し、いよいよ受験勉強に打ち込む気満々であった。
けれども、受験中心の生活になってみると、試験の時などに過緊張で保健室の世話になったり、トイレが近くなったりして、やる気はあるのに、あせりばかりがつのり、自分のペースがつかめずに苦しんでいた。
困り果てた彼は、医者を訪ねることとなった。医師が薬を出すと言うと、彼は「薬には頼りたくない」と言った。医師は、彼は薬を必要としていること、副作用とか薬依存になる心配はないから飲むようにと説得した。彼は、仕方がないと受けいれ、薬を支えに頑張っていた。
母親は、何の問題もなくきた息子の深刻な神経症に仰天して、医師は薬しか与えなかったと電話で相談してきた。私は、本人を相談に連れてくるようにと誘った。
母親は、塾に迎えに行った帰りに、彼を車でそのまま私の家に連れてきた。彼は、むずかしい高校受験勉強で大変で、「それどころではない」と車の中で同行することに抵抗した。
私は、大きくなった彼に再会して感動し、雑談した後で、相談的関係へと進めていった。彼は、母親が自分のことをすでに話していたことを知って気にしたが、「そんなことは誰にでも起こることなので気にしないで」と軽く流した。
まず、母親が相談し、本人は側で聞くようにセットした。母親は自分の問題と子どもの問題を混同しやすいし、子どもの方も母親の思いや心配に影響されやすいからだ。
「聡君の問題ではなく、聡君のことでのお母さんの悩み」であることを明確にした。彼は黙って二人の会話を聞いていた。母親は心配しないで大きく構えて、息子の力を信じていることが重要である。
次に、彼との相談へと進んだ。彼が、調子よくいかなくなったのは、好きなサッカーができなくなったことも大きいようであった。幸運はどこの高校にいこうが開かれているので心配しないで運命を信じて進むようになどのコメントをした。
この後、シンギングボール(音のマンダラと呼ばれるチベット仏教の楽器)で瞑想的な境地を感じてもらい、自分の願いを心の中で祈り、エンジェルカードを引いてもらった。
引かれたカードは「PLAY」であった。ちょうど遊びの大事さも話題になっていたので、私たち三人はその偶然一致したカードに驚いた。こうして相談とエンジェルカードゲームは楽しく終わった。
翌日から、彼はサッカーで遊び、自分のペースを取り戻し、薬から解放された。受験結果は、希望通りではなかったが、つきものが落ちたようにさわやかな表情で結果を受け止めた。
彼はストレスが強い状況下だからこそ、自分を維持するのに、サッカーが必要であったようだ。
けれども、受験中心の生活になってみると、試験の時などに過緊張で保健室の世話になったり、トイレが近くなったりして、やる気はあるのに、あせりばかりがつのり、自分のペースがつかめずに苦しんでいた。
困り果てた彼は、医者を訪ねることとなった。医師が薬を出すと言うと、彼は「薬には頼りたくない」と言った。医師は、彼は薬を必要としていること、副作用とか薬依存になる心配はないから飲むようにと説得した。彼は、仕方がないと受けいれ、薬を支えに頑張っていた。
母親は、何の問題もなくきた息子の深刻な神経症に仰天して、医師は薬しか与えなかったと電話で相談してきた。私は、本人を相談に連れてくるようにと誘った。
母親は、塾に迎えに行った帰りに、彼を車でそのまま私の家に連れてきた。彼は、むずかしい高校受験勉強で大変で、「それどころではない」と車の中で同行することに抵抗した。
私は、大きくなった彼に再会して感動し、雑談した後で、相談的関係へと進めていった。彼は、母親が自分のことをすでに話していたことを知って気にしたが、「そんなことは誰にでも起こることなので気にしないで」と軽く流した。
まず、母親が相談し、本人は側で聞くようにセットした。母親は自分の問題と子どもの問題を混同しやすいし、子どもの方も母親の思いや心配に影響されやすいからだ。
「聡君の問題ではなく、聡君のことでのお母さんの悩み」であることを明確にした。彼は黙って二人の会話を聞いていた。母親は心配しないで大きく構えて、息子の力を信じていることが重要である。
次に、彼との相談へと進んだ。彼が、調子よくいかなくなったのは、好きなサッカーができなくなったことも大きいようであった。幸運はどこの高校にいこうが開かれているので心配しないで運命を信じて進むようになどのコメントをした。
この後、シンギングボール(音のマンダラと呼ばれるチベット仏教の楽器)で瞑想的な境地を感じてもらい、自分の願いを心の中で祈り、エンジェルカードを引いてもらった。
引かれたカードは「PLAY」であった。ちょうど遊びの大事さも話題になっていたので、私たち三人はその偶然一致したカードに驚いた。こうして相談とエンジェルカードゲームは楽しく終わった。
翌日から、彼はサッカーで遊び、自分のペースを取り戻し、薬から解放された。受験結果は、希望通りではなかったが、つきものが落ちたようにさわやかな表情で結果を受け止めた。
彼はストレスが強い状況下だからこそ、自分を維持するのに、サッカーが必要であったようだ。
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11:00
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2011年05月12日
心の宇宙散策58 他者のまなざしの影響
最近、多重人格をテーマにした「阿修羅」という小説を読んだ。作者は、テレビでも活躍しておられる坊さん作家の玄有宗久氏である。彼の中で、三つの顔をもつ阿修羅と多重人格がつながり、多重人格について調べ学んだ上でこの小説を書いたようだ。
その小説の中で精神科医たちが「医原」ということを話題にするくだりがある。担当医は、多重人格障害と思われる自分の患者を多重人格と思い込むことによって、たとえ口にしなくても、患者がそれこそ多重人格になってしまうのではないかと気を使っていた。医者の診断のまなざしが病気を容認し、患者に病気の根拠を与えてしまうのではと危惧しているのだ。この考え方は、非常に重要な観点であると私は思っている。
青木省三も沖縄で開催された平成22年メンタルヘルス研究協議会での講演で同じようなことを指摘している。・・・その人の前にいくと「アスペルガー症候群」らしくなるという場合さえあるのではないかと思う。「障害特徴のように見えても、私が作り出している側面もある」という自覚も必要なように思うのである・・・このように、人の性格は変わらないものではなく、みる人のまなざしや関係次第で変わるのである。
人間は、自分の尺度で他者を判断し、その判断で人をみて、自分の判断に呪縛されることがある。そう思い込むとそのように見えてくるから不思議だ。そして、相手はその期待に無意識に応じてしまう。それは、相互の言葉(認識)と心がもたらす魔力ともいうべき現象である。反対に、相手に対する愛のまなざしが、相手との関係に作用し、奇蹟的にいい性格を引き出すこともまれではない。
相談では、カウンセラーは冷静な第三者的な鏡として期待されるが、来談者の状況に巻き込まれ、感情的にまざりあってしまうこともある。日常の人間関係でも、人は他者の人生に巻き込まれ、相手を憎んだり非難したり、受け入れられないと思ったりする。相手の欠点だけが目について、その人さえいなければうまくいくのにと思ったりするのだが、そこには、むしろ自分の側のまなざしが作用していることがある。
みえっぱりでわがままな友人に困っていたある学生は、その友人が嫌いで大学に来たくないほどであった。分析していくと、友人は大好きで大嫌いな彼女の祖母にそっくりであった。彼女は、好きで嫌いというアンビバレントな感情をもっている祖母的な人格と出会う必要があったようだ。この嫌な出会いは、彼女にとって、自分をみつめ自己の再構築を促すチャンスであった。自分自身の眼の曇りを払い、明鏡止水のような心で人と出会っていきたいものである。
その小説の中で精神科医たちが「医原」ということを話題にするくだりがある。担当医は、多重人格障害と思われる自分の患者を多重人格と思い込むことによって、たとえ口にしなくても、患者がそれこそ多重人格になってしまうのではないかと気を使っていた。医者の診断のまなざしが病気を容認し、患者に病気の根拠を与えてしまうのではと危惧しているのだ。この考え方は、非常に重要な観点であると私は思っている。
青木省三も沖縄で開催された平成22年メンタルヘルス研究協議会での講演で同じようなことを指摘している。・・・その人の前にいくと「アスペルガー症候群」らしくなるという場合さえあるのではないかと思う。「障害特徴のように見えても、私が作り出している側面もある」という自覚も必要なように思うのである・・・このように、人の性格は変わらないものではなく、みる人のまなざしや関係次第で変わるのである。
人間は、自分の尺度で他者を判断し、その判断で人をみて、自分の判断に呪縛されることがある。そう思い込むとそのように見えてくるから不思議だ。そして、相手はその期待に無意識に応じてしまう。それは、相互の言葉(認識)と心がもたらす魔力ともいうべき現象である。反対に、相手に対する愛のまなざしが、相手との関係に作用し、奇蹟的にいい性格を引き出すこともまれではない。
相談では、カウンセラーは冷静な第三者的な鏡として期待されるが、来談者の状況に巻き込まれ、感情的にまざりあってしまうこともある。日常の人間関係でも、人は他者の人生に巻き込まれ、相手を憎んだり非難したり、受け入れられないと思ったりする。相手の欠点だけが目について、その人さえいなければうまくいくのにと思ったりするのだが、そこには、むしろ自分の側のまなざしが作用していることがある。
みえっぱりでわがままな友人に困っていたある学生は、その友人が嫌いで大学に来たくないほどであった。分析していくと、友人は大好きで大嫌いな彼女の祖母にそっくりであった。彼女は、好きで嫌いというアンビバレントな感情をもっている祖母的な人格と出会う必要があったようだ。この嫌な出会いは、彼女にとって、自分をみつめ自己の再構築を促すチャンスであった。自分自身の眼の曇りを払い、明鏡止水のような心で人と出会っていきたいものである。
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2011年04月26日
心の宇宙散策57 魔法の店~本当の願い・夢は何か
魔法の店(Magic Shop)は、心理劇でよく使われる手法である。その店は、夢を叶える店であるが、お金ではなく自分がもっている何かをさし出して、夢と交換をする店である。
店には、主人 (監督的存在) と店員 (客と監督を助ける存在)がいて、客の願いを聞き、客が幸せになるように話をきき、客の夢の矛盾を指摘して討論に持ち込んだりして、幸せになるのを手伝うという設定である。
このロールプレイングは、人間関係の訓練法でもあり3人一組で行われる。三つのそれぞれの役を演じることが人間関係の訓練・練習にもなる。
このワークをカウンセリングの授業で与え、感想を書いてもらった。
お店の主人役が難しい、自分が差し出せるものは何かが分からない、本当に欲しいものがはっきりしていないなどのとまどいも見られたが、多くの興味深い学びが感想にでていた。感想の部分的ないくつかを紹介しよう。
「人間って本当に心から欲しかったら自分で努力して手に入れると思うし、努力して手に入れるからその喜びもあるのだとロ-ルプレイをして思いました」。
「ただ‘欲しい’と思うのではなく、‘なぜ欲しいか’‘それを使ってどうするか’‘本当に必要か’等と考えてみると本当に必要なものが見えてくる・・・・努力が足りないのだなと考えさせられました」
「物やお金よりも愛が一番大切だと思いました。死んだ時に幸せだったなと感じることはやっぱり愛ではないか。・・・・大切なものは何なのか見つける事ができた」
「最初は車などのモノが欲しいと言った。でも‘それであなたは幸せになれますか。もっと大切なものがあると思うよ’と言われ、確かにそれだけでは幸せになれない。じゃ、絆だ。家族や友だちの絆があれば本当の幸せがみつかると分かった・・・優しさを失って絆を得た私は、家族と愛を育めると思う・・・・自分が発見できてよかったです。」
「私は‘出世する’と引き換えに‘寿命10年分’と交換すると言いました。この解答から、私は、人生が長くても短くてもまわりに認めてもらい、輝いていきたいんだと思いました。」
「‘どらえもん’っていう意見で皆一致して話がはずんだけど、先生が入ってきて、否定的な意見で・・・みんなの意見とは全く違って現実的な感じで・・・現実を見せられた。」
心の中だけでもいいから、魔法の店にときどき出かけ、心のピントを絞って夢と現実を生きる力をつけて欲しいものである。
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2011年04月20日
2011年03月30日
心の宇宙散策56 うきヒーリングアートの祈り
3月11日の東北・関東大震災は、開いた口がふさがらないような衝撃であった。テレビのニュースに釘付けになり、寄付ぐらいしかできず、重苦しい日々が続いているが、多くの方々が、先が見えない中で戦っていると思うと、こちらもあきらめずに見つめ続け、応援の祈りを送らねばと思う。
私は、震災の前日に風邪(気管支炎)になり、翌日病院で点滴してもらって薬を飲んで休んでいた時に、夫からテレビのニュースを知らされた。風邪は治るのに時間がかかったが、この恐るべき大震災で気持ちは晴れず、こんな時こそ強くならねばと「うきアート」に取り組むことにした。
海掃除のご縁から、浜に流れ着いたうきに出会って絵を描くようになってから久しい。描かれたうきアートはどんどん増え、家の斜面の塀なのに、よほどの雨風でないかぎり落ちることはなく、ずらりと20個ぐらい並んでいる。
下手なので恥ずかしいのだが、「下手はないのだ、すべてを受けいれるのだ」と駄作もあえて皆ならべて、みつめていると自分がみえてくる。雨風でアクリルやクレヨンの色がぬけてくると、気が向いた時に修復するが、作品は色で新たに輝いて気持ちがいい。全く違う絵になってしまうこともある。
うきアートをはじめた頃は、色をぬるだけでうきうきして感動していた。球体の不思議にも開かれていった。今は、うきの傷や染みからイメージを探して描いていくと、自分の気持ちやあこがれが浮かび出て、絵ができるようになっている。結果として、自然にその時の気持ちが反映されるので驚きだ。
今回は、震災のニュースでゆれてしまう弱い自分を変えたい、不動の岩のように強い自分になりたいと空に立ち上がる岩を描いた。ところが、それは傷つき、暴れ苦しむ大地のようであった。そこで、私は、「ウオ―ツ」と大きな声をあげて一人で地球と人々の苦しみを身体で表現をしてみた。何度かやっていると、感情が湧いてきて、涙がはらはらと流れた。泣けたので、救いのパワーの天使を描き加えていった。そして、祈り・愛を送る意味で、また一人で大声をあげ表演した。こうして、うきアート「よみがえる愛」ができたのである。
黙っているだけでは、心は同じ所に止まってしまうが、アートで表現したり、言葉にしたりすると前に進んでいく。少しは、立ち向かっていく強さ、やる気が出てきたようである。
私は、震災の前日に風邪(気管支炎)になり、翌日病院で点滴してもらって薬を飲んで休んでいた時に、夫からテレビのニュースを知らされた。風邪は治るのに時間がかかったが、この恐るべき大震災で気持ちは晴れず、こんな時こそ強くならねばと「うきアート」に取り組むことにした。
海掃除のご縁から、浜に流れ着いたうきに出会って絵を描くようになってから久しい。描かれたうきアートはどんどん増え、家の斜面の塀なのに、よほどの雨風でないかぎり落ちることはなく、ずらりと20個ぐらい並んでいる。
下手なので恥ずかしいのだが、「下手はないのだ、すべてを受けいれるのだ」と駄作もあえて皆ならべて、みつめていると自分がみえてくる。雨風でアクリルやクレヨンの色がぬけてくると、気が向いた時に修復するが、作品は色で新たに輝いて気持ちがいい。全く違う絵になってしまうこともある。
うきアートをはじめた頃は、色をぬるだけでうきうきして感動していた。球体の不思議にも開かれていった。今は、うきの傷や染みからイメージを探して描いていくと、自分の気持ちやあこがれが浮かび出て、絵ができるようになっている。結果として、自然にその時の気持ちが反映されるので驚きだ。
今回は、震災のニュースでゆれてしまう弱い自分を変えたい、不動の岩のように強い自分になりたいと空に立ち上がる岩を描いた。ところが、それは傷つき、暴れ苦しむ大地のようであった。そこで、私は、「ウオ―ツ」と大きな声をあげて一人で地球と人々の苦しみを身体で表現をしてみた。何度かやっていると、感情が湧いてきて、涙がはらはらと流れた。泣けたので、救いのパワーの天使を描き加えていった。そして、祈り・愛を送る意味で、また一人で大声をあげ表演した。こうして、うきアート「よみがえる愛」ができたのである。
黙っているだけでは、心は同じ所に止まってしまうが、アートで表現したり、言葉にしたりすると前に進んでいく。少しは、立ち向かっていく強さ、やる気が出てきたようである。
Posted by 浅野恵美子 at
21:25
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