2019年05月04日
心の宇宙散策87
女性の中にある愛と祈りの渇望
~宮古島の祖神祭に女性史の原点をみたもろさわようこ~
3月3日(2019年)、女性史研究家もろさわようこ(両澤容子)の講演があるというので私にしては珍しく、講演に出向いた。タイムスの案内には、「1970年代に宮古島各地の祭祀を記録した写真家の故上井幸子ともろさわさんの交流を軸に、女性たちの輝き、解放像について語り合う。」と書いてあった。
私が住んでいる南城市に、もろさわさんの家があることぐらいは聞いていたが、彼女の活動はほとんど知らなかった。心が動いたのは、女性問題と宮古島の祭祀に心がひかれたからである。後で知ったのだが、彼女の沖縄の家は1994年に建てられ、現在は「平和と沖縄の生活文化を守る場」として、地縁、血縁に縛られず、志や生き方への共感で結ばれる「志縁」で人間は自由になれるとし、組織を作って参加者を縛ることがない、自発的集団として、会費なしで出入り自由な、生き方を模索する交流拠点の一つである。
宮古島で生まれ育った私は、運命の風にのり、東京の大学で6年間勉強させてもらった。しかし、卒業、結婚によって沖縄本島に住み、宮古に帰省することはあるも、暮らすことはなかった。方言に懐かしさと愛着は感じるが、宮古島の祭や文化はかなり忘れ去られているので、少しは知っておきたかった。
講演では、もろさわさんの生きてきた経歴や思い、宮古島の古代的な祖神祭に行き着いた事情、写真集ができたいきさつなどが語られた。
写真集のことは、上井幸子さんが「1970年代から宮古島の古代的な祭りに足しげく通い そこに息づく霊性に魅せられ 神女たちによる祭祀に、 そしてそこに生活するひとびとに 心寄り添わせた写真集 貴重写真200点を収録!]と紹介されている。
「太古の系譜~沖縄宮古島の祭祀」(六花出版)と題された分厚い写真集は、2500円という安さで、私は、それを買って帰り、もろさわさんの講話を思い出しながら、その写真をみつめ、もろさわ女史による詳しい解説に心を引きつけられていった。
写真集は、上井幸子が、「沖縄をうりものにできない」と遠慮して、出版せずに他界してしまい、残された写真である。遺族から上井さんの他界の知らせをうけ、もろさわさんを中心に、遺族の資金提供、関係者の力添えがあって出版にこぎつけている。モノクロで、説明の文字がない写真たちは、見ているとその意味を問いかけられているようであった。
もろさわ女史の解説文で、上井さんと彼女の現場でのたくさんの出会いや現場の空気が語られ、お二人の真の自分を生きることへの渇望が、宮古に残っている自然崇拝や祈りの古代文化とつながっていったことが分かった。沖縄の古代からの文化についても言及しており、私が知らないことが多く驚くばかりである。
本土復帰の1972年ごろ、もろさわさんは女性解放の運動の主導役としてメディアにも登場するようになっていた。しかし、彼女は知識や論理に基づく言葉を書き重ねても、女性の解放像が本当に分かっているのかーと苦しさと後ろめたさを抱えていた。当時の女性運動には「愛」という言葉はなかったのだ。
彼女は、遠巻きに祖神祭を見聞きすることで、隔離されての5日もの断食もある中、島人の幸せを命がけで祈り、痛みを共有する「愛」の神女の女性たちから、「愛に満ちた直観」を学んだようだ。そこでの出会いは、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」の言葉とつながり、狩俣の祖神祭(うやがん祭)に女性史の原点があるとの結論に至ったのである。今では、祖神祭は、現代の暮らしには合わなくなって、大神島に一人の高齢の神女がいるだけになっているそうだ。
私が感動を覚えるのは、もろさわさんと上井さんのいきついた到達点である。もろさわさんの「沖縄の中に生きているアニミズム、自然の中に神がいる、どんな悪い人にも神様がいる、文字を持った人間は、知識に縛られて本質をみなくなった、関係の中で人々への愛に満ちた女の直感は真理に至ることができる、男は論理で真理に至れない・・・・」などの講和での言葉も納得である。愛と祈り抜きの論理には力がないし、人は愛なしで、頑張ることは難しい。お二人は、祈りと魂の復権によって大きな力を得たのだと思われた。
私自身も、短大の教員になっても、科学的とされる研究方法になじめず、その世界にうまく適応できずにいた。愛と祈りを抜きになされる人間研究には心がついていかないのだった。人は研究の対象ではなく、共に生きる仲間であり、関係的に理解していくことが重要である。
写真集の解説には、ウヤガン祭の様子、そこで学んだプロセスがリアルに、はっきり書かれている。もろさわさんの広い視点と意味深い物語を、簡潔に紹介する事は、私には無理であるが、日本が追従している西洋近代の文化・社会システムは、日本人の魂、生きる活力を奪ってきていると言っても過言ではないだろう。
お二人が本当のご自分の願いを生きたことで、愛と魂を復活させたことに私は感動し、安堵し、共感した。祖神祭の詳しいことはあまり分っていないが、古代文化を引き継いでいる神女たちの命をかけた祈りを想像してみると、なぜか胸がいっぱいになり、ありがたくて涙が出た。あれほどに祈ることができることがうらやましい。真剣に祈れるようになりたいと思う。共同体の繁栄を必死で祈る姿は、地域共同体の連帯、絆をゆるぎなく育てていたと思われる。
もろさわさんのいう「愛のあるフェミニズム」が広がるなら、女性たちの本来の力が湧き出て、平和をまねく気運を高めてくれるはずだ。否、そんな新しい女たちはすでに多く、辺野古移設問題でも活躍してくれている。女性解放は、男性解放であり、自分自身の復活であり、世界平和を開くドアである。
もろさわようこさんと上井幸子さんの生き方とそのお仕事に、感謝と大拍手をささげたい。私も微力ながらも後に続きたいと願っている。(浅野恵美子)
~宮古島の祖神祭に女性史の原点をみたもろさわようこ~
3月3日(2019年)、女性史研究家もろさわようこ(両澤容子)の講演があるというので私にしては珍しく、講演に出向いた。タイムスの案内には、「1970年代に宮古島各地の祭祀を記録した写真家の故上井幸子ともろさわさんの交流を軸に、女性たちの輝き、解放像について語り合う。」と書いてあった。
私が住んでいる南城市に、もろさわさんの家があることぐらいは聞いていたが、彼女の活動はほとんど知らなかった。心が動いたのは、女性問題と宮古島の祭祀に心がひかれたからである。後で知ったのだが、彼女の沖縄の家は1994年に建てられ、現在は「平和と沖縄の生活文化を守る場」として、地縁、血縁に縛られず、志や生き方への共感で結ばれる「志縁」で人間は自由になれるとし、組織を作って参加者を縛ることがない、自発的集団として、会費なしで出入り自由な、生き方を模索する交流拠点の一つである。
宮古島で生まれ育った私は、運命の風にのり、東京の大学で6年間勉強させてもらった。しかし、卒業、結婚によって沖縄本島に住み、宮古に帰省することはあるも、暮らすことはなかった。方言に懐かしさと愛着は感じるが、宮古島の祭や文化はかなり忘れ去られているので、少しは知っておきたかった。
講演では、もろさわさんの生きてきた経歴や思い、宮古島の古代的な祖神祭に行き着いた事情、写真集ができたいきさつなどが語られた。
写真集のことは、上井幸子さんが「1970年代から宮古島の古代的な祭りに足しげく通い そこに息づく霊性に魅せられ 神女たちによる祭祀に、 そしてそこに生活するひとびとに 心寄り添わせた写真集 貴重写真200点を収録!]と紹介されている。
「太古の系譜~沖縄宮古島の祭祀」(六花出版)と題された分厚い写真集は、2500円という安さで、私は、それを買って帰り、もろさわさんの講話を思い出しながら、その写真をみつめ、もろさわ女史による詳しい解説に心を引きつけられていった。
写真集は、上井幸子が、「沖縄をうりものにできない」と遠慮して、出版せずに他界してしまい、残された写真である。遺族から上井さんの他界の知らせをうけ、もろさわさんを中心に、遺族の資金提供、関係者の力添えがあって出版にこぎつけている。モノクロで、説明の文字がない写真たちは、見ているとその意味を問いかけられているようであった。
もろさわ女史の解説文で、上井さんと彼女の現場でのたくさんの出会いや現場の空気が語られ、お二人の真の自分を生きることへの渇望が、宮古に残っている自然崇拝や祈りの古代文化とつながっていったことが分かった。沖縄の古代からの文化についても言及しており、私が知らないことが多く驚くばかりである。
本土復帰の1972年ごろ、もろさわさんは女性解放の運動の主導役としてメディアにも登場するようになっていた。しかし、彼女は知識や論理に基づく言葉を書き重ねても、女性の解放像が本当に分かっているのかーと苦しさと後ろめたさを抱えていた。当時の女性運動には「愛」という言葉はなかったのだ。
彼女は、遠巻きに祖神祭を見聞きすることで、隔離されての5日もの断食もある中、島人の幸せを命がけで祈り、痛みを共有する「愛」の神女の女性たちから、「愛に満ちた直観」を学んだようだ。そこでの出会いは、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」の言葉とつながり、狩俣の祖神祭(うやがん祭)に女性史の原点があるとの結論に至ったのである。今では、祖神祭は、現代の暮らしには合わなくなって、大神島に一人の高齢の神女がいるだけになっているそうだ。
私が感動を覚えるのは、もろさわさんと上井さんのいきついた到達点である。もろさわさんの「沖縄の中に生きているアニミズム、自然の中に神がいる、どんな悪い人にも神様がいる、文字を持った人間は、知識に縛られて本質をみなくなった、関係の中で人々への愛に満ちた女の直感は真理に至ることができる、男は論理で真理に至れない・・・・」などの講和での言葉も納得である。愛と祈り抜きの論理には力がないし、人は愛なしで、頑張ることは難しい。お二人は、祈りと魂の復権によって大きな力を得たのだと思われた。
私自身も、短大の教員になっても、科学的とされる研究方法になじめず、その世界にうまく適応できずにいた。愛と祈りを抜きになされる人間研究には心がついていかないのだった。人は研究の対象ではなく、共に生きる仲間であり、関係的に理解していくことが重要である。
写真集の解説には、ウヤガン祭の様子、そこで学んだプロセスがリアルに、はっきり書かれている。もろさわさんの広い視点と意味深い物語を、簡潔に紹介する事は、私には無理であるが、日本が追従している西洋近代の文化・社会システムは、日本人の魂、生きる活力を奪ってきていると言っても過言ではないだろう。
お二人が本当のご自分の願いを生きたことで、愛と魂を復活させたことに私は感動し、安堵し、共感した。祖神祭の詳しいことはあまり分っていないが、古代文化を引き継いでいる神女たちの命をかけた祈りを想像してみると、なぜか胸がいっぱいになり、ありがたくて涙が出た。あれほどに祈ることができることがうらやましい。真剣に祈れるようになりたいと思う。共同体の繁栄を必死で祈る姿は、地域共同体の連帯、絆をゆるぎなく育てていたと思われる。
もろさわさんのいう「愛のあるフェミニズム」が広がるなら、女性たちの本来の力が湧き出て、平和をまねく気運を高めてくれるはずだ。否、そんな新しい女たちはすでに多く、辺野古移設問題でも活躍してくれている。女性解放は、男性解放であり、自分自身の復活であり、世界平和を開くドアである。
もろさわようこさんと上井幸子さんの生き方とそのお仕事に、感謝と大拍手をささげたい。私も微力ながらも後に続きたいと願っている。(浅野恵美子)
Posted by 浅野恵美子 at 21:21│Comments(0)