2018年04月02日

宇宙散策84 絵本を活かす人生探求ワーク

~「ねむりむしじらぁ」は、悪い奴か~



絵本を活用したロールプレイをすると、人は、それぞれにユニークな「一人一宇宙」の世界を生きていることが感じられる。今回は、「ねむりむしじらぁ」の絵本ワークの経験から学んだことについて書いてみる。
 
 ねむりむしじらぁの話は、分かりやすい短い話である。
・・むかし、首里の都に住む「じらぁ」という若者がいた。両親は年取っているうえにとても貧しいが、じらぁは働こうともせず、寝てばかりいる。ある日、じらぁはひょっこり起きて母親に白鷺を買ってくれと頼む。貧しい両親は、悩んだ末、一人息子の為に借金をして白鷺を買ってあげる。
 じらぁはその白鷺をこっそり飼う。けれど、ある夜、金持ちの家のガジュマルの木にその白鷺をかかえてよじ登り、暗闇の中で、隣の金持ち夫婦に「神のお告げ」を述べ、夫婦が承知すると白鷺を放つ。金持ちの夫婦は、飛び立つ白鷺に驚き、そのお告げを信じる。そして、翌日、じらぁの両親に頼み込んで、一人娘とじらぁを結婚させる。
 結婚した後のじらぁは、人が変わったようになり、一生懸命に働き、家族皆を幸せにする。・・
 
ねむりむしじらぁの絵本は、読み聞かせたり、絵本の物語と関連したロールプレイワークをしたり、研究会や授業などいろいろな場所でいろんな方々とやってきた。
じらぁをどう理解・評価するかは人それぞれであった。小学2年生でも「最初は悪かったけど後は頑張ったからいい」と言える生徒もいたが、一年生だと「働けば金は貯まる」として、じらぁを弁護する私に反論し「じらぁは怠け者だ」と主張する場面もあった。
 大人たちの場合は、ホリエモンだと否定する側と貧困の厳しさを重くみる側に分かれた。結婚詐欺、恋する娘との共謀、親孝行との考えもでたが、「じらぁが神様だった、神がのり移った」と考えた中学生もいた。
 じらぁの嘘を妻が知ることになったと設定しての劇で、妻役にじらぁを問い詰める役を与えると、「何かを買ってもらって許す」とか、「あれほど頑張ってくれた夫には何の文句もありません」という感じで、責める気持ちよりも許す気持ちが目立った。
じらぁの嘘が村中にばれたという設定のドラマもした。沖縄心理劇研究会では、嘘をとがめる周りの人から、じらぁを守る家族のドラマが展開した。ところが、日本心理劇学会(東京)では、じらぁ役の学生は、周りの批判にさらされて抵抗できなくなってしまった。まるでマスコミで不正を裁かれているかのようであった。若い学生には重すぎる役で申し訳なかったが、今の時代の風潮が反映されたと考えさせられた。
 怠け者であったじらぁに白鷺を買い与えた両親は甘すぎるのではとの意見が出た時、ある母親は、「娘が不登校になった時、この子の心が動くのなら何でもやるつもりだった」と語った。この深い親心は、子の危機を共に生きてきたことから言えた言葉であった。
 
自信をなくし行き詰っていた真面目な学生に、私はこの物語を読んであげ、対話へと繋げてみたことがある。読み聞かせた後、「じらぁのことを悪い奴と思っているでしょう」と尋ねると、真面目な彼は「じらぁは、自分のことだけ考えている」と答えた。
そこで、私はじらぁになってロールプレイへと彼を誘い込んだ。じらぁ役の私は、「私が自分の為だけにあんなことができたと思うかね。皆を幸せにするために一世一代のかけにでたのだ。ばれた時の覚悟もしていた。君も自分にかけてみろよ)」と迫った。
 彼は自分をもてあまし、どこにも進めないでいた。いい人で、真面目なだけでは、人生はうまくいかない。彼は自分の現状、運命をどう引き受けたらいいのか見つけられずにいたが、「自分にかけてみろ」との言葉は彼に届いた。彼は逃げ腰の自分を反省し、不安ながらも前に進み、無理のない小さな冒険をするようになっていった。

 5年生の息子の不登校で悩んでいる母親が、大きなケーキをもって、息子と共に相談にやってきた。母子との三人関係において、初めて出会った息子の本音を聞き出すのは難しいことだったので、私は母親の不安や思いを息子の前で語ってもらい、息子には、聞き役に徹してもらった。私は「学校に行きたくなることはよくあることで行かなくてもいい。けれど、あなたにはお母さんを助ける役目がある」とだけコメントした。
 この後、私はここでも「ねむりじらぁ」を活用した。母子に読み聞かせた後で、母親にじらぁの母親になってもらい、私がじらぁになった。「どうして寝てばかりいるの」と尋ねるじらぁの母役に、じらぁの私は「お父さんもお母さんも自分も幸せにしたいけど分からなくて苦しい。」と答えた。その言葉は、事前に母親から聞いていたことがヒントになって、出ることができた言葉だったと思う。すると母親は、気持ちがいっぱいになって、涙がでてしまった。家族の物語とシンクロしたと思われた。父親は単身赴任で留守であったし、妹と息子は喧嘩ばかりしていた。息子と私はその涙を黙ってみていた。
 踏み込んだ話はしないまま、いろいろと雑談をして相談は終った。息子は、彼なりにしっかりして自分で考えていけると私には思えた。母親は、「これで終わるのか。息子は変われるのか」と不安そうだった。その後、息子は自分で学校にいくようになった。初めは、友達に呼びに来てもらったが、そのうち、呼びに来なくてもいいと自分で決めて、学校に通うようになった。部活もやるようになっているとのことだった。
 
 じらぁの物語は、カウンセリングにも活かすことができた。じらぁの人生を、良いとか悪いとか評価するよりも、人生について共に考え、交流できたことが重要だったと思う。( 本稿は沖縄保育問題研究会ニュース2018年4月号に書いたものに加筆している。)




Posted by 浅野恵美子 at 10:46│Comments(1)
この記事へのコメント
恵美子先生

これまで公私ともに大変お世話になりました。
職責を大過なく全うし、「素」の自分に戻りました。
これまで支えて頂いた方々を想い、ただただ感謝の気持ち、感慨無量の毎日です。

これからが、私の本当の「生きる力」が試されると思っています。

自分の選択、決定がこれからの私を創っていく
まさに「人生創造」・・・

健やかで豊かでありたいと祈っています。

これからも、よろしくお願いします。
Posted by tashatasha at 2018年04月15日 12:37
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。