2017年03月10日
心の宇宙散策83 ニュージーランド旅行
ニュージーランド旅行
南半球にあり、南極に近いニュージーランド。美しい島との評判は高く、世界中から観光客が訪れている。日本からの観光客も多く、そこで働いている日本人も多い。
そこは、南極に近いにもかかわらず、雪は降ってもあまり積もらない。大地から噴き出す間欠泉がおおくあり、それがその地をあたためているのだろうか。2月は夏から秋に向かう季節であるが、気温は10度以下になることも多く、一日の間に春、夏、秋、冬があると言われている。寒さに弱い私は、ダウンコートをもっていったが、何の違和感もなく、それで寒さをしのぐことができた。そこでは、人々は、夏服も冬服もオッケーで、それぞれの体感に合わせて服を着ていた。曇りと雨が多かった北島は寒く、快晴だった南島は、紫外線が強く、日中はとても暑かったが、朝夕は寒く、ホテルは暖房が効きすぎて眠れなかった。
ジャンボツアーでの沖縄からニュージーランドまでの旅は、沖縄~台北~シドニー~オークランド(北島)と、三度飛行機を乗り継ぎ、台北―シドニー間は機中泊で9時間の飛行であり、オークランドについた時は、若くはない体は疲れはて、足は膨れていた。
ニュージーランドでは、北島にある大都市オークランド、飛行機で渡った南島のクイーンズタウンとクライストチャーチを中心に案内してもらった。バス旅行では、添乗員の通訳などを含む多くの世話にあずかり、地元の日本人観光ガイドたちからたくさんの現地情報を聞くことができた。息を飲むようなすばらしい風景、延々と広がる広々とした牧場地、美しい山々をみていると、心は宇宙的に広がっていった。おまかせの、いいとこ取りの観光ではあったが、何人ものガイドの話を聞き、大地に立つことで、この国の全体像が少しはつかめた。
この」旅行で最も考えさせられたことは、自然を大事にするその姿である。南極に近く寒い土地であるにもかかわらず、放牧されている牛や羊などの牧舎はなく、大地に溶け込んで暮らしている姿は、平和そのものに見えた。人間の都合による牧牛ではあっても、生きている間は、幸せに健康に暮らさせているとのこと。だから、牛の肉はとてもおいしいというのは、食べてみて納得したが、殺されて食べられる幸せな牛たちには申し訳ない気持が湧いた。牛さん、ごめんなさい。ありがとう。
かつてのニュージーランドは、鳥たちの楽園であったが、ポッサム(イタチ科)や鹿やうさぎなどの外来種が外から持ち込まれ、その外来種は、強敵がいなくて住みやすいことから異常繁殖して、生態系を脅かしている。ポッサムは捕獲されると毛皮その他に活用されて、生態系を守るための資金源として活用されている。
実は、広く延々と続く美しい牧場は、森をかなり伐採して作られたもので、人の手による乱開発の結果であった。その反省もあって、自然を守るための決まりがたくさんできていった。例えば、魚つりをするには許可証が必要であり、しかも小さい魚は釣ってはいけなくて、 釣っていい魚の数も決まっており、釣り人をチェックするお巡りさんもいる。そして、ルールを守っていないと厳しい罰金が課されるのだ。
現地の先住民マオリ族のように、大地を神様のものとみなし、感謝して、大事に扱う精神は、沖縄の人々の間にもあり、県民は軍事基地建設反対の運動を何年も訴えているが、日本政府と米国は無視し続けている。マウントクックと呼ばれている最も高く、年中白い氷河でおおわれている山は、先住民のマオリ族が神とあがめる山である(下の写真)。氷河は温暖化で年々少なくなっているそうだ。そこは多くの人々がトレッキングに訪れる観光地の一つである。私たちは、往復3キロのトレッキングに参加したが、ガイドは、道すがらみられる高山植物やこけなどを紹介し、踏まれないようにと気遣っていて、山へのやさしい思いには感動した。こんなにも自然を愛することができるのかと。
それに比べたら、沖縄の大地は、米軍基地によって有害物質で汚染され、辺野古の海は乱暴な扱いを受けて、強大な日米共有の軍事基地が作られようとしており、米軍の訓練では、毎日のように実弾をぶち込まれている山もある。
驚いたことは、観光地として栄えているニュージーランドに、外資系企業が入り込んできて土地を買いあさり、土地の値段が高騰し、庶民が家を持てなくなり、家賃も高騰し、大学生も家を借りられず、シェアハウスで何とか頑張っている事実である。
政府も驚いて、外資系企業が購入した土地は「3年間は売ってはいけない」とルールを作ったそうだが、遅すぎたそうである。お金の力にものをいわせる乱暴な資本主義が、人々の暮らしを変え、貧困層を増やしている事を、ニュージーランド国民は、はっきり目撃している。これは世界中で起こってきたことであり、沖縄でも起こっている。
もう一つの感動は、星空である。南十字星が見えるかも知れないと皆で、夜に湖の近くへと散歩にでた。私たちは空に広がる星空に目をみはったが、星に詳しい人がいなくて、オリオンだ、天の川だ、南十字星はあれかしらなど推測した。その天の川が、虹のように空に広がって見えたのは感動であった。沖縄ではそんなふうには見えたことがなかった。
帰路では、夕方午後7時過ぎクライストチャーチから台北へ、台北から沖縄へと戻った。夜間飛行であったため、私は飛行機の窓から、きらきら輝く満天の星空を見た。雲のない快晴の空、飛行機の翼の向こうに星々がはっきりと輝いていた。私は、時速800キロで飛んでいるというゼット機の轟音を聞きながら、飛行機が止まって見えることに気づいた。飛行機が、前に進んでいないのだ。島々を下に見ながら飛んでいたときは、飛行機は動いているのが分かったのだが、その時は動いているようには見えない。無限のかなたにある星空の光景はいつまでも変わらず、同じ光景の中、飛行機は動いていないかのように見えたのだ。
昔、小学4年のころ、「大きく見える星が大きいとは言えない。星の大きさは、色や光を分析することで地球からの距離や大きさがわかる」と本に書かれていたことを思い出す。私は、その時、「真実は見ただけでは分らない」と思い、大げさに言えば、思考の大転換だと思ったものだった。飛行機は止って見えたが、動いていた。目に見えることだけで判断してはいけない。
ニュージーランドの美しい大自然と現地の人々の暮らし、出会い、また初めて出会った旅なかま間での楽しい会話は、人間交流かつ情報交流であり、有意義な学びでもあった。あの素晴らしい大地は、私の心にいつまでも残るだろう。地球の美しさを守っていかねばと考えさせられ、切に願い、祈る気持ちになった旅であった。
いつまでも輝いていてくれニュージーランド。
いつまでも美しい大地と海であってくれみんなの沖縄、そして日本列島。
南半球にあり、南極に近いニュージーランド。美しい島との評判は高く、世界中から観光客が訪れている。日本からの観光客も多く、そこで働いている日本人も多い。
そこは、南極に近いにもかかわらず、雪は降ってもあまり積もらない。大地から噴き出す間欠泉がおおくあり、それがその地をあたためているのだろうか。2月は夏から秋に向かう季節であるが、気温は10度以下になることも多く、一日の間に春、夏、秋、冬があると言われている。寒さに弱い私は、ダウンコートをもっていったが、何の違和感もなく、それで寒さをしのぐことができた。そこでは、人々は、夏服も冬服もオッケーで、それぞれの体感に合わせて服を着ていた。曇りと雨が多かった北島は寒く、快晴だった南島は、紫外線が強く、日中はとても暑かったが、朝夕は寒く、ホテルは暖房が効きすぎて眠れなかった。
ジャンボツアーでの沖縄からニュージーランドまでの旅は、沖縄~台北~シドニー~オークランド(北島)と、三度飛行機を乗り継ぎ、台北―シドニー間は機中泊で9時間の飛行であり、オークランドについた時は、若くはない体は疲れはて、足は膨れていた。
ニュージーランドでは、北島にある大都市オークランド、飛行機で渡った南島のクイーンズタウンとクライストチャーチを中心に案内してもらった。バス旅行では、添乗員の通訳などを含む多くの世話にあずかり、地元の日本人観光ガイドたちからたくさんの現地情報を聞くことができた。息を飲むようなすばらしい風景、延々と広がる広々とした牧場地、美しい山々をみていると、心は宇宙的に広がっていった。おまかせの、いいとこ取りの観光ではあったが、何人ものガイドの話を聞き、大地に立つことで、この国の全体像が少しはつかめた。
この」旅行で最も考えさせられたことは、自然を大事にするその姿である。南極に近く寒い土地であるにもかかわらず、放牧されている牛や羊などの牧舎はなく、大地に溶け込んで暮らしている姿は、平和そのものに見えた。人間の都合による牧牛ではあっても、生きている間は、幸せに健康に暮らさせているとのこと。だから、牛の肉はとてもおいしいというのは、食べてみて納得したが、殺されて食べられる幸せな牛たちには申し訳ない気持が湧いた。牛さん、ごめんなさい。ありがとう。
かつてのニュージーランドは、鳥たちの楽園であったが、ポッサム(イタチ科)や鹿やうさぎなどの外来種が外から持ち込まれ、その外来種は、強敵がいなくて住みやすいことから異常繁殖して、生態系を脅かしている。ポッサムは捕獲されると毛皮その他に活用されて、生態系を守るための資金源として活用されている。
実は、広く延々と続く美しい牧場は、森をかなり伐採して作られたもので、人の手による乱開発の結果であった。その反省もあって、自然を守るための決まりがたくさんできていった。例えば、魚つりをするには許可証が必要であり、しかも小さい魚は釣ってはいけなくて、 釣っていい魚の数も決まっており、釣り人をチェックするお巡りさんもいる。そして、ルールを守っていないと厳しい罰金が課されるのだ。
現地の先住民マオリ族のように、大地を神様のものとみなし、感謝して、大事に扱う精神は、沖縄の人々の間にもあり、県民は軍事基地建設反対の運動を何年も訴えているが、日本政府と米国は無視し続けている。マウントクックと呼ばれている最も高く、年中白い氷河でおおわれている山は、先住民のマオリ族が神とあがめる山である(下の写真)。氷河は温暖化で年々少なくなっているそうだ。そこは多くの人々がトレッキングに訪れる観光地の一つである。私たちは、往復3キロのトレッキングに参加したが、ガイドは、道すがらみられる高山植物やこけなどを紹介し、踏まれないようにと気遣っていて、山へのやさしい思いには感動した。こんなにも自然を愛することができるのかと。
それに比べたら、沖縄の大地は、米軍基地によって有害物質で汚染され、辺野古の海は乱暴な扱いを受けて、強大な日米共有の軍事基地が作られようとしており、米軍の訓練では、毎日のように実弾をぶち込まれている山もある。
驚いたことは、観光地として栄えているニュージーランドに、外資系企業が入り込んできて土地を買いあさり、土地の値段が高騰し、庶民が家を持てなくなり、家賃も高騰し、大学生も家を借りられず、シェアハウスで何とか頑張っている事実である。
政府も驚いて、外資系企業が購入した土地は「3年間は売ってはいけない」とルールを作ったそうだが、遅すぎたそうである。お金の力にものをいわせる乱暴な資本主義が、人々の暮らしを変え、貧困層を増やしている事を、ニュージーランド国民は、はっきり目撃している。これは世界中で起こってきたことであり、沖縄でも起こっている。
もう一つの感動は、星空である。南十字星が見えるかも知れないと皆で、夜に湖の近くへと散歩にでた。私たちは空に広がる星空に目をみはったが、星に詳しい人がいなくて、オリオンだ、天の川だ、南十字星はあれかしらなど推測した。その天の川が、虹のように空に広がって見えたのは感動であった。沖縄ではそんなふうには見えたことがなかった。
帰路では、夕方午後7時過ぎクライストチャーチから台北へ、台北から沖縄へと戻った。夜間飛行であったため、私は飛行機の窓から、きらきら輝く満天の星空を見た。雲のない快晴の空、飛行機の翼の向こうに星々がはっきりと輝いていた。私は、時速800キロで飛んでいるというゼット機の轟音を聞きながら、飛行機が止まって見えることに気づいた。飛行機が、前に進んでいないのだ。島々を下に見ながら飛んでいたときは、飛行機は動いているのが分かったのだが、その時は動いているようには見えない。無限のかなたにある星空の光景はいつまでも変わらず、同じ光景の中、飛行機は動いていないかのように見えたのだ。
昔、小学4年のころ、「大きく見える星が大きいとは言えない。星の大きさは、色や光を分析することで地球からの距離や大きさがわかる」と本に書かれていたことを思い出す。私は、その時、「真実は見ただけでは分らない」と思い、大げさに言えば、思考の大転換だと思ったものだった。飛行機は止って見えたが、動いていた。目に見えることだけで判断してはいけない。
ニュージーランドの美しい大自然と現地の人々の暮らし、出会い、また初めて出会った旅なかま間での楽しい会話は、人間交流かつ情報交流であり、有意義な学びでもあった。あの素晴らしい大地は、私の心にいつまでも残るだろう。地球の美しさを守っていかねばと考えさせられ、切に願い、祈る気持ちになった旅であった。
いつまでも輝いていてくれニュージーランド。
いつまでも美しい大地と海であってくれみんなの沖縄、そして日本列島。
Posted by 浅野恵美子 at 16:38│Comments(0)