2018年12月12日

心の宇宙散策87 人間信頼のルーツとしての愛着関係

心の宇宙散策87 

小1プロブレムが話題になって久しいが、小さな勉強会(4人)で、小1プロブレムと愛着関係について、考えさせられたので書いてみたい。

ケイさん(20代後半・男性)は、この勉強会に初めて参加した学童の指導員である。私たちは4人だけで15分の瞑想をした後で、新人の彼に現場で出会っている課題を出してもらうところから始めた。ケイさんがちょっと困っていたことは、1年生の男子生徒エイチくんが、彼の言うことを聞いてくれないことだった。次のことをする時間になっても、なかなか遊びを止めてくれないし、食事の時間がきても「食べない」と言って動かなかった。他の指導員の言うことはすぐに聞けるのに、ケイさんの指示には従わず、集団行動に合わせてくれなかった。ケイさんは、自分が優しいから言うことをきかないのか、厳しくした方がいいのかと迷っていた。

その困っている状況を調べるために、私はケイさんにエイチ君役を与え、私がケイさん役にになって、対話のドラマを演じた。ねらいは、ケイさんがエイチ君の立場で考え、その関係をこちらも理解できるようにすることである。観客は他の参加者の2人の女性(60代の相談員・元教員)である。

ケイ役(私):エイチくん、俺のこと嫌いなの?
エイチ役 (ケイさん):きらいじゃないよ
ケイ役:けど、他の先生のいうことはよくきくのに、俺のいうことはきかないじゃない。
エイチ役:きいているよ

こんな風の対話劇の後、ケイさんは、「そんな風に話しかけたことないな」と感想を一言。実際の場面でも、ケイさんはエイチ君がいうことを聞いてくれていないと思っているのに、本人は言うことをきいていると言っているとのことだった。すぐには言う通りにしてなくても、最後には聞いているつもりかもしれない。
もしかしたら、エイチ君は、ケイさんが嫌いというよりも、逆にケイさんが好きなのではないか。エイチ君の心に応じてくれそうな優しいケイさんにアンビバレント(好きだから困らせる・両極的感情)な態度で関わっていると思われた。

そう考えたのは、保育園で見られる子どもの行動と相通じるものがあったからだ。
娘が2歳頃だったと思うが、保育園に迎えにいくと母親である私の所にはすぐにはやってこなくて、ずるずると遊んで帰ろうとしなかった時期があった。「あれ?どうして?」と戸惑ったものだった。いつまでも続いたわけではないが、母親を求める娘の思いを十分受け取れないままに仕事を続けてきた事、それが娘との関係に影響したと今は思っている。
そんな母子関係にありがちな関係の理由が知りたくて、他の母親たちとドラマ法で演じて調べてみたこともあった。母親役と子ども役の二人での簡単なロールプレイをした後で、見ていての感想、演じてみての感想などを出し、意見交流をした。子ども役を演じた母親は、自分の子どもにもそんな時期があったそうで、理由が分からずにいた。けれど、演じてみて、また観客の感想や意見を聞いて、理由が分かったと言う。それは、無意識的に、母親にもっと自分をみていて欲しいという願い、甘えからきているとの発見であった。子どもは大好きな母親とつながりたい、認めてもらいたいと母親を困らせるものなのだ。

舞台は東京であったが、親を困らせている小1の娘の母親の相談を受けたことがある。母親は、無痛出産で娘を産み、産んだという実感がなく、子どものことは祖母任せにしてきたと反省していた。一年生の娘を車で迎えにいき、車の中で学校での出来事が話題になると、娘は自分が学校でダメな子どもだと事実をたくさん報告すると言う。先生に「バカと言われた」とか、「靴を盗まれた」とか、「友達の手紙を隠した」等である。
そこで、現実の関係をドラマで母親と一緒に再現してみた。私が母親で、母親が娘になった。それをやってみると、私には母親との絆を求める娘が、「こんなダメな私でも愛してくれるの」と母親の愛を試しているように思われた。母親は、初めのうちは、やさしく聴くのだが、最後にはいらいらしてしまい、叱ってしまうとのことだった。そこで、今度は役割交代して、母親は自分を演じ、私が娘になってロールプレイをした。母親が娘の世界を感じ取れるように、私が思う娘の感情を表現して演技していった。そして、外側から見ているだけでは分からなかった娘の立場を、母親は感じ取っていった。自分をダメだと思っている娘にいかに応答したらよいのか。子どもが何を言っても、怒らずに受け入れて応答することは難しいが、母親には三つのOKを意識するようにコメントした。その三つとは、①母親自身にオーケー(罪悪感を持たない)、②娘のありのままにオーケー(自己肯定が育つように)、③起こった出来事(人は間違いを犯しながら成長する)もオーケーである。
言葉かけとしては、例えば「それは嫌だったね。お母さんはいつもマイちゃんの味方よ。人は、喧嘩し、失敗したりなどして、いろんな経験をつむことで、大人になっていけるから大丈夫」など。その後、このコミュニケーションスキルは役に立ったようで母子関係はうまく進んでいったとの報告を受けた。

話をもとに戻すと、ケイさんとやったもう一つのドラマでは、観客だった二人に、エイチ君の親に関する情報は与えないで、父と母の役を与え、ケイさんは自分役でのドラマ場面を設定した。

ケイさん(自分役)が:エイチくんは、学童では皆と合わせなくて、自分のペースですが、家ではどうですか?
父親役(ハマさん):家ではそういうことは全くありません。
母親役(シンさん):夫は仕事に忙しく子どものことはあまり、分かっていません。家でも同じようにいろいろと問題があって困っています。

母親役は、自分が学校で出会っている手のかかる1年生と似ているということで、そのイメージを活かして、どんどん話していた。それを聞いたケイさんは、エイチ君の両親と似ていると驚いた。
(後で聞いたことによると、エイチ君は、学校で暴れることはなく、先生の指示をよく聞く、静かでおとなしい生徒だそうだ。エイチ君は、学校とは違う顔を学童でケイさんに向けていたのである。この研究会の後、ケイさんは、学童の指導員として、エイチ君に向き合う姿勢を変えた。その結果だろうと思うが、エイチ君も少し落ち着いて、友だちとのいい雰囲気も見られるようになっているとのことである。)

母親役になったシンさんは、自分が担当する学校の一年生で、授業中教室を出て行ったり、暴れたりする生徒がいて二人もいて、指導員として手をやいていた。しかし、不思議なことに、一人は、母親が学校の教室にいるだけで、暴れることは全くないと言う。もう一人は、暴れてまわりを困らせるが、先生の手にふれたり、胸に触れたりするそうである。この二人の小Ⅰ生の行動には、幼児期の子どものママ恋しさ・スキンシップを求めている様子が感じられる。心が、まだ幼児期を引きずっているらしい。この引きずっている何かは、理解されないままいくと、大人になっての親不信・人間不信・自己不信につながっていくこともありえる。

子ども時代を甘くみてはいけない。子どもたちの思いをしっかり受け止め、そのこだわりや心のしこりをほぐして、理解しあう確かな絆・人間信頼を育てることが重要だ。ここでは、愛着関係にだけ焦点を絞っているが、子どもの問題は母子関係に還元できるほど単純ではない。物事は一つの関係だけで起こることはなく、たくさんのことが絡んで起こるものだ。しかし、親子や家族の絆を確かなものにすることが、幼年期にはもっとも重要だ。仕事中心・お金中心ではない、精神共同体、経済共同体、生活共同体としての家族の復活が望まれると思う。子育ては思うようにはいかないものだ。子どもは自分の心のしこりを引き受けつつ成長していく。子どもに問題行動があるとしても、子どもの力を信頼し、みつめ、励ますことで子供は頑張ることができる。




Posted by 浅野恵美子 at 02:00│Comments(0)人生
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。