2011年12月10日

心の宇宙散策66号 ・・・恋・セックス・心の発達


 「男らしく」とか、「女らしく」ではなく、「自分らしく」(ジェンダーフリー)が叫ばれて久しい。

 男女の問題は、それですむほど単純ではないが、小さな性差ではなく、密室化される恋愛やセックスにおいて、お互いを大事にできるマナーが問われている。

 愛と言う名の支配や甘えが、DV(暴力)になってしまうことも少なくないからだ。

 初恋は、相手との現実の関係ぬきに想像的に大きくなる。その恋は、幻想・夢であり、破れる運命にある。けれど、恋は、自分自身を高めようとする強い純粋な動機を生み出す。

 S華は、自分の恋は片思いであることを感じていたが、その現実を受け入れることが出来なかった。いつかは好きになってもらえるかもしれないと何年も思い続け、相手にふさわしい自分になろうとした。そして、失恋を受け入れる用意ができた時、告白して予想通り失恋した。

 失恋に耐えることで人の心はたくましくなる。失恋は、大好きな相手から「ノー」を突きつけられることであり、人生の危機であるが、他人は思うようにならないことを心底学ぶ機会である。

 S華は、失恋によって、少し大人になり、恋愛に耐えうる強さを得たのだと思われる。

 K子は、考え深いまじめな性格であった。D介から「好きだ、付き合って欲しい」と言われた時、いろいろと考えた末に、「嫌いな訳ではない」ということで、付き合うことにした。

 二人のまじめな付き合いは、しばらく続いたが、D介は別の女性の方に心が向いていってしまった。そして、D介は去り、残された彼女は、一人もんもんと苦しむことになった。

 自分に何の落ち度があったというのか。恋は終わったと頭で思っても、気持ちではなかなか終わらなかった。

 長い間、考え続けた結果、自分がまじめすぎて彼を拘束していたことに気づいた。愛という名の支配であったのだと思えた。こうして、彼女の恋物語はやっと終わった。

 セックスでの男性遍歴のあるM代が、教えてくれた話によると、セックス、つまり肉体での相性というものはあるそうである。けれど、自分の心に力を与えてくれるのは、セックスではなく、愛なのだそうだ。

 セックスは肉体のつながりであり、愛は心・魂の繋がりかもしれない。身体と心の双方がうまくつながるのはなかなかむずかしい。恋愛関係においては、セックスを急ぐことなく、ていねいに相互の信頼を築いていかねば続かない。
 
 今、性が商業ペースで著しく歪められている。性犯罪のモデルは、商業化された性情報によるものが多い。快楽主義的な性は、相手を欲望の手段にする。それは、性不感症に通じている。

 快楽主義に陥っている人は、セックスを冒涜することで、セックスの真の喜びと相互の絆(信頼)の大切さを見失う。

 セックスは神聖なものとして、ていねいに扱わねばならない。そうすることで、信頼とセックスの喜び、そして人間としての発達もついてくるのである。





Posted by 浅野恵美子 at 00:48│Comments(2)
この記事へのコメント
恋愛感情はセックスすると免疫が交換されるから、他人の
免疫が代謝され浄化されるまでの体質による気も
しないではない・・・細胞核の中の電子は出入り自由だし
そういうことが記憶に感情として定着するのかな?
Posted by tedarou-jrtedarou-jr at 2011年12月10日 01:30
恵美子先生、お元気ですか。
私も相変わらずの毎日(足踏み?)を過ごしています。

恋人・夫婦の性(セックス)についての話はなかなかしにくいですが、根底にあるべきものは「平等」と「愛、信頼」だと思います。
「支配と服従であってはならない」と思います。
「セックス」は相手の人格をどれだけ尊重し、人間として認めているかが端的に表れるもの。
だからこそ「ていねいに相互の信頼を築いていく」こと。

私なりにたどり着いた想いです。
Posted by tashatasha at 2011年12月10日 10:34
 
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