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2019年12月29日

12月29日の記事

心の宇宙散策88:アメリカ、マウントシャスタの旅
浅野 恵美子
クラブワールドの大村慎吾・直美夫妻が率いるツアー「マウントシャスタ癒しの旅」に行った。そこは、アメリカ、カルフォルニア・メッドフォードにあるネイティブ・アメリカンの人々が守ってきた聖地である。テントで寝るということ、冬服も夏服もリックにしょって懐中電灯も持っていくというので、かなり厳しい旅行になるだろうと覚悟した。
行く気になったのは仕事が楽になり、家でのんびり時間が増えると、体がどんどん怠け者になっていく。このまま老境に入ってはまずいという認識が後押しした。広い世界・地球に触れて、体に負荷を与え、体と心を刷新したいと考えたのである。
6月6日に沖縄から成田(2時間)へ飛び、成田で引率者を含めた参加者と合流した。参加者は8人の女性で、2度目の訪問者もいた。成田からサンフランシスコまで8時間あまり、サンフランシスコからメッドフォードには1時間45分で、その日はホテルで宿泊。長時間の飛行時間と待ち時間で疲れており、ほっと落ち着いた気分になった。外は寒かったが、同室の仲間と防寒着で外に出て、すぐそばのスーパーマーケットを見学した。そこからは、美しいマウントシャスタが見えて、わくわく気分になった。
翌朝、ヒーリング・ファウンデーションのリチャード&ジュディス夫妻がでっかい車二台で迎えに来てくれた。ご対面のあいさつの後、目的地へと向かった。

聖なる水、聖なる森、聖なる教え
一行は、はじめにプラスチックの害がないという水筒を勧められて買った。シャスタ自慢の世界最高ともされる地下から湧きでる聖なる水をくむためだ。湧き水の場所は森の中であった。泉は透明で、皆は湧き水をくんで飲み、周りを散策した。この泉には、不思議な伝説がある。ある方が、この泉を発見した人と出会い、その人にたくさんのことを教えてもらった。その人とまた会う約束をして訪ねてみると、現れたのは本人ではなくライオンだった。恐怖の中で落ち着いて向き合っていると、ライオンが消え、待っていたその人が現れたという。「恐れてはいけない」ということを教えるためにライオンとなって現れたのだ。キリストも「恐れるな」と説き、亡くなったホーキング博士も「恐れるな」と言い残して亡くなっている。人が恐れるとき、その悪い想念が災難を招くのだ。
リチャード氏が言うには,ここの水は地下から湧き出る山の氷水で、世界でもトップ1や3のレベルと評価されているとのことだ。一行は、その日から、水筒を抱えて、毎日おいしい水をヒーリング・ファンデーションの土地の地下からくみ上げて飲んで暮らした。

テント泊・美味しい食事・チャクラタワー 
M.シャスタは、滞在中、雪を被っていつも輝いていた。6月に雪が残っているのは珍しいとのこと。飽きることなく、毎日、何度も山を眺めた。草原の台地は、埃っぽく、草木が繁茂し、ホワイトセージが雑草のごとく茂っていた。日本でカルフォルニアの山火事のニュースを見ていた時、シャスタの周りは大丈夫かと思ったのだが、被害はそこにも及んだそうで、何本かの木がやられ、煙のせいで、まだ土地が埃っぽいとのことだった。
リチャード氏の指導でのテント張りの初体験もして、初めてテントで寝た。疲れもあったのか、不眠症はすっかり消えて、熟睡していた。ビニールの敷物の上に寝袋にくるまって寝るのだが、外はとても寒いにも関わらず暖かくて快適であった。テントは寒さ用なのか、二重の覆いであった。大地の上に寝ているので大地のエネルギーをもらったのかもしれない。大地とつながって寝るのは、グラウンディング健康法だ。早朝にトイレに行くためにテントを出ると静寂の中、素晴らしい星空が大地をつつみ、数えきれない星々が輝いていた。何も考えず、ひたすら皆と過ごした日々は、自宅に帰った時とは大違いだ。そこでは、何も考えず、やるべきことや出来事に集中していた。
ジュディスさんが用意してくれた食事はいつもとても美味しかった。皆で料理を手伝ったのも良かった。若い方々が元気いっぱいでよく働いてくれて大助かりであった。
問題は、初めの2、3日がとても寒かったことだ。特に夜は屋根はあるが壁のないスペースでの食事で、風もあり、薪を燃やしても耐えられない寒さだった。3日目ぐらいからは、天気がよくなり快晴の輝く空をうけて、M.シャスタは不思議な雲を侍らせて輝いてくれた。リチャード氏が写真を見せてくれたが、いつも雲と遊んでるような山らしい。3日目からは、冬が、突然夏に変わり、沖縄より暑い日々が始まった。そんな中でも、雪山へも行き、雪の山道で大丈夫なように重装備をして散歩させてもらった。寒すぎたり、暑すぎたりであったが、みんな元気で、楽しんでいた。その雪の山道は、マウントシャスタだったのかな?。雪は山の上に方にしかなかったから違うと思ってた。
ファウンデーションには、7つのチャクラ(人体エネルギーの出入り口)タワーが作られていて、高く掲げられた7つの旗がそれぞれに揺れていた。タワーの階段を登ると床のスペースがあり、そこで寝袋で夜を明かす人が何人もいた。私は、一人でそこで寝る気はなかったが、そこでの最後の夜、親しくなったメンバーと二人で寝てみた。寝袋に全身を入れ、顔を出して三日月になっていた空を見たりした後、眠りにつき明るい朝を迎えた。隣の友人はすでに起きてテントに戻っていた。

 ネイティブ・アメリカンのシャーマン、マリイのワーク
ちょっと太った色白の女性、マリイ先生はドラムワークの楽器などを車に乗せて、元気いっぱいの声で登場した。メンバー一人ひとりに関心を示し、名前を聞き、覚えやすいようにとニックネームを見つけ、ハグもした。私が「えみこ」と自己紹介すると、「アミコ」と言う。以前にもアメリカ人にアミコと呼ばれたことがある。アメリカ人にはアミコと聞こえるようだ。結局、私の場合は、天の子という意味で「アマコ」にしてもらった。私はその名前が気に入った。ペンネームにしてもいいかも。
年を取ると、人の名前を直ぐに覚えるのはむずかしい。私の場合、知っている人の名前すら思い出すのに時間がかかることもある。マリイも私も70代、記憶の出力が鈍くなり、覚えることも難しい。
ファウンデーションの広い敷地の中、石で囲まれたストーンサークルのような場所でワークはなされた。通訳は引率者の直美さんがしてくれた。メンバーが会場に入り、最後にマリイがサークルに入場する時、なぜか入り口の石の上に積み上げてあったいくつかの丸太が崩れた。マリイは直さなくていいとした。神の御心のままにかな。
講和では、赤い小さな楽器の話が印象に残っている。ストーンサークルの中で、皆はドラムワークのために楽器を選んでもっていたのだが、偶然、私がもっていた音を出す小さな楽器の話であった。彼女は、この楽器と出会った時、なんて下手な魅力のない楽器かと思ったというのだ。けれど、これを作った人はどんな気持ちでこの色をいれ、絵を書いたのか。相手の思いを知らないで、評価の眼差しを向けた自分を反省し、評価しないで受け入れていくことの大切さを語った。私は学生評価にずっと悩んできた。点数をつける評価になじめないのだ。
世界中に能力主義と競走がはびこり、評価が蔓延している時代である。評価から自由になり愛のある関係性が重要だ。事は作品や絵だけでなく、人に対しても向けられる。ネガティブな言葉や眼差は、相手の内なる力を阻害してしまうことがある。
日本では、新しい相談法や治療法がどんどん出て、よい結果を出し、ネットのユーチューブで病気が消える魔法、幸せに至るためのいろいろな思考法が語られている。梯谷幸司は「病気は本当の自分からずれているサインである」と癌や病気を消したたくさんの実践から自信をもって語っている。「人を評価しないで関心を持つことの大切さ」は、自分らしく生きることにも通じている。これらは新しい考えではない。古代文化や宗教では、どこでも愛や慈悲を教えてきた。古代的な知が脳科学と繋がったことが大きい。ネガティブなことを思うと、脳はその言葉と思考に従うそうだ。病気だと信じると病気を終わらせられない。人をも自分をも病人にしないことが重要だ。自分が相手を病気としてみると、その思考が相手の脳にも映る(ミラー・ニューロン)ということが分かってきた。古い文化知が、脳科学の進展で復活してきている。
私たちは、ストーンサークルの中で、M.シャスタをみつめ、先祖や家族のことを思い、祈り、ながーいドラムワークを続けた。好きな方向(東西南北)を選んで座り、東西南北のそれぞれの意味も教えてもらった。内容はもう忘れているが、私の場合、北を選んだのだが、目指す方向という意味だそうだ。マリイ先生のワークは、気長でゆっくり進み、「長いなー」と感じたが、このゆっくりさは重要だ。
私の場合、ゆとりができている暮らしをしているにもかかわらず、能率的であろうとしていて、気持ちが忙しくなる癖がある。「ゆっくり、ゆっくり、方の力を抜いて」と自分に言い聞かせている。
最後に、マリイ先生は一人ひとりと深い対話を行った。一人ひとりとしっかり繋がることを大事にしているのが伺えた。マリイがドラムワークの楽器を置いていってくれたお陰で、夕方、即興のドラムワークをちょっとだけ楽しむことができた。ありがとう、マリイ先生。そうそう、ちょっとしたきっかけからマリイの黄色いカーボーイ帽子を借りたのだが、お返しすると、「もってけー」とプレゼントされた。皆で出かけた時、この帽子をかぶっていると、珍しいのか、何度か、知らない人から声をかけられた。自宅にもどってから、布団に横たわっているとこめかみに黄色がはっきりと何度か浮かんできた。これまでとは違う強い黄色だった。カーボーイ帽子のことは、一生の忘れないだろう。

マウンティンセージでの浄化
ジュディスさんには、色々と世話になったが、祈り&浄化のためのマウンティンセージの束を作ることも体験させてもらった。私たちは、沢山のマウンティンセージを集めて、一生懸命に取り組んだ。私も慣れない手つきで3束つくることができた。家に戻ると、自宅の窓際に三つぶら下げて飾り、乾燥を待つことにした。乾燥した頃に、来客が「あれはなんだ?」と質問してくれた。いいことを聞いてくれたと説明し、火をつけて、客2人と夫と自分に、また家中の部屋にも煙をまいて浄化することができた。
家では、仏壇で線香を使うことがあるが、線香の煙も家の中を浄化するようだ。今、住んでいる家の周りには、木がいっぱいあり、アリが家にどんどん入り込んで来ていた。私は長い間、アリ対策で苦しく、夢にまでアリが出てきたくらいであった。ある日、人間の身体に悪いと思って使わなかった蚊取り線香を2,3日、燃やしてみて驚いた。アリが家に入ってこなくなリ、家の中のアリの巣も消えていた。家を浄化する煙パワーにを発見した思いであった。
カナダにいた時、ネイティブ・カナディアンの講義を受けたことがある。講義のはじめに、ホワイトセージのけむりで会場を清め、受講生の一人ひとりにもけむりで浄化した。浄化と祈りで、聖なる空気を作ってからレクチャーをすることが、その場の空気を変え、参加者の聞く耳と心を育てていた。言葉で勝負しやすい近代人は祈りの力、場の空気を浄化することを忘れがちである。
ジュディスさんには、漢方薬やハーブの講義もしてもらった。私は高血圧にいいハーブを処方してもらったが、高級なお茶のようでおいしかった。ジュディスさんは、一人一人のために時間をかけて祈って処方してくれたと聞いた。飲みながら、ふと、ジュディスさんの祈りの魔法が入っている気がした。飲まない日もあったが、無事、飲み終えた。沖縄に戻るや否や、原稿書きで気持ちが忙しくなり、しばらくは心身が混乱気味であったが、今は体調が回復し、特に悩レベルが安定してきた。

最後のプレゼント
日本に戻ってから、「シャスタ・マジック」という言葉を知った。シャスタ山にいくと何かの魔法が起こるというのだが、私にも何かの魔法があっただろうか。
5泊6日もお世話になったファウンデーションを去る日は、チャクラタワーで目覚めた朝でもあった。参加者の多くが顔は日焼けし、唇が荒れる人もいた。私の唇も荒れていたが、野生人の気分になっていた。着替えをしていて、気が付くと膝下の両足の皮膚の内部にひどい湿疹(?)ができていた。痒いことはなく、びっくりもしなかった。草やハーブの周りを歩いたせいかもしれない。
このネガティブに見えるプレゼントは私に何をもたらしてくれるのか。家に戻ると足をせっせとケアした。おかげで、乾燥気味になりやすい両足は、クリームを塗るなどのケアできれいな足になった。足を大事にしてこなかったことを反省。マイナスとプラスは背中合わせだ。プラスはマイナスになり、マイナスがプラスになる。「すべてはうまくいっている」と思えばいいことがやってくる。
これを書いているとシャスタマジックはあったと思えた。もともと、マジックを起こそうと思って出かけた旅である。マイナスのすべてをマジックに変えられるかも。
先日、姉のために、慣れない遠道へと向かって運転していて、曲がるはずの道を見逃してがっくりした。戻れない道である。けれど、「これもマジックかも」との思いが聞こえ、落ち着いて別の道を行った結果、簡単に行ける分かりやすい道につながりうまく到着できた。
72年を超えて生かされている今、若き日々には前に進むことに追われ、走っていたことが思われる。無意識の秘められた過去の痛みや後悔が体中に表れて、一つひとつを思い出して決着をつけ、感謝して、身の丈に応じて老年期を豊かに生きることができそうである。
あれから、5か月も過ぎているが、これを書くことで気が高まり、内なる自発的魔法=シャスタ・マジックが動き出した。
大村夫妻、ファウンデーションのリチャードさん、ジュディスさん、マリイ先生、本当にありがとうございました。又、素晴らしい8泊9日を共にした仲間の皆さんには、色々と世話になった。皆が、湖のある森で大きな石に登って横になったこと、湖の中の岩に飛び乗り,飛び戻ったこと、薪割をしたことなど、私がしなかったことに果敢に挑戦する姿はかっこよかった。素晴らしい出会いに感謝している。
2019年11月13日
  


Posted by 浅野恵美子 at 15:49Comments(1)

2019年05月04日

心の宇宙散策87

女性の中にある愛と祈りの渇望
~宮古島の祖神祭に女性史の原点をみたもろさわようこ~

3月3日(2019年)、女性史研究家もろさわようこ(両澤容子)の講演があるというので私にしては珍しく、講演に出向いた。タイムスの案内には、「1970年代に宮古島各地の祭祀を記録した写真家の故上井幸子ともろさわさんの交流を軸に、女性たちの輝き、解放像について語り合う。」と書いてあった。

私が住んでいる南城市に、もろさわさんの家があることぐらいは聞いていたが、彼女の活動はほとんど知らなかった。心が動いたのは、女性問題と宮古島の祭祀に心がひかれたからである。後で知ったのだが、彼女の沖縄の家は1994年に建てられ、現在は「平和と沖縄の生活文化を守る場」として、地縁、血縁に縛られず、志や生き方への共感で結ばれる「志縁」で人間は自由になれるとし、組織を作って参加者を縛ることがない、自発的集団として、会費なしで出入り自由な、生き方を模索する交流拠点の一つである。

宮古島で生まれ育った私は、運命の風にのり、東京の大学で6年間勉強させてもらった。しかし、卒業、結婚によって沖縄本島に住み、宮古に帰省することはあるも、暮らすことはなかった。方言に懐かしさと愛着は感じるが、宮古島の祭や文化はかなり忘れ去られているので、少しは知っておきたかった。

講演では、もろさわさんの生きてきた経歴や思い、宮古島の古代的な祖神祭に行き着いた事情、写真集ができたいきさつなどが語られた。
写真集のことは、上井幸子さんが「1970年代から宮古島の古代的な祭りに足しげく通い そこに息づく霊性に魅せられ 神女たちによる祭祀に、 そしてそこに生活するひとびとに 心寄り添わせた写真集 貴重写真200点を収録!]と紹介されている。
「太古の系譜~沖縄宮古島の祭祀」(六花出版)と題された分厚い写真集は、2500円という安さで、私は、それを買って帰り、もろさわさんの講話を思い出しながら、その写真をみつめ、もろさわ女史による詳しい解説に心を引きつけられていった。

写真集は、上井幸子が、「沖縄をうりものにできない」と遠慮して、出版せずに他界してしまい、残された写真である。遺族から上井さんの他界の知らせをうけ、もろさわさんを中心に、遺族の資金提供、関係者の力添えがあって出版にこぎつけている。モノクロで、説明の文字がない写真たちは、見ているとその意味を問いかけられているようであった。

もろさわ女史の解説文で、上井さんと彼女の現場でのたくさんの出会いや現場の空気が語られ、お二人の真の自分を生きることへの渇望が、宮古に残っている自然崇拝や祈りの古代文化とつながっていったことが分かった。沖縄の古代からの文化についても言及しており、私が知らないことが多く驚くばかりである。

本土復帰の1972年ごろ、もろさわさんは女性解放の運動の主導役としてメディアにも登場するようになっていた。しかし、彼女は知識や論理に基づく言葉を書き重ねても、女性の解放像が本当に分かっているのかーと苦しさと後ろめたさを抱えていた。当時の女性運動には「愛」という言葉はなかったのだ。

彼女は、遠巻きに祖神祭を見聞きすることで、隔離されての5日もの断食もある中、島人の幸せを命がけで祈り、痛みを共有する「愛」の神女の女性たちから、「愛に満ちた直観」を学んだようだ。そこでの出会いは、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」の言葉とつながり、狩俣の祖神祭(うやがん祭)に女性史の原点があるとの結論に至ったのである。今では、祖神祭は、現代の暮らしには合わなくなって、大神島に一人の高齢の神女がいるだけになっているそうだ。

私が感動を覚えるのは、もろさわさんと上井さんのいきついた到達点である。もろさわさんの「沖縄の中に生きているアニミズム、自然の中に神がいる、どんな悪い人にも神様がいる、文字を持った人間は、知識に縛られて本質をみなくなった、関係の中で人々への愛に満ちた女の直感は真理に至ることができる、男は論理で真理に至れない・・・・」などの講和での言葉も納得である。愛と祈り抜きの論理には力がないし、人は愛なしで、頑張ることは難しい。お二人は、祈りと魂の復権によって大きな力を得たのだと思われた。

私自身も、短大の教員になっても、科学的とされる研究方法になじめず、その世界にうまく適応できずにいた。愛と祈りを抜きになされる人間研究には心がついていかないのだった。人は研究の対象ではなく、共に生きる仲間であり、関係的に理解していくことが重要である。

写真集の解説には、ウヤガン祭の様子、そこで学んだプロセスがリアルに、はっきり書かれている。もろさわさんの広い視点と意味深い物語を、簡潔に紹介する事は、私には無理であるが、日本が追従している西洋近代の文化・社会システムは、日本人の魂、生きる活力を奪ってきていると言っても過言ではないだろう。

お二人が本当のご自分の願いを生きたことで、愛と魂を復活させたことに私は感動し、安堵し、共感した。祖神祭の詳しいことはあまり分っていないが、古代文化を引き継いでいる神女たちの命をかけた祈りを想像してみると、なぜか胸がいっぱいになり、ありがたくて涙が出た。あれほどに祈ることができることがうらやましい。真剣に祈れるようになりたいと思う。共同体の繁栄を必死で祈る姿は、地域共同体の連帯、絆をゆるぎなく育てていたと思われる。

もろさわさんのいう「愛のあるフェミニズム」が広がるなら、女性たちの本来の力が湧き出て、平和をまねく気運を高めてくれるはずだ。否、そんな新しい女たちはすでに多く、辺野古移設問題でも活躍してくれている。女性解放は、男性解放であり、自分自身の復活であり、世界平和を開くドアである。

もろさわようこさんと上井幸子さんの生き方とそのお仕事に、感謝と大拍手をささげたい。私も微力ながらも後に続きたいと願っている。(浅野恵美子)


  


Posted by 浅野恵美子 at 21:21Comments(0)

2018年12月12日

心の宇宙散策87 人間信頼のルーツとしての愛着関係

心の宇宙散策87 

小1プロブレムが話題になって久しいが、小さな勉強会(4人)で、小1プロブレムと愛着関係について、考えさせられたので書いてみたい。

ケイさん(20代後半・男性)は、この勉強会に初めて参加した学童の指導員である。私たちは4人だけで15分の瞑想をした後で、新人の彼に現場で出会っている課題を出してもらうところから始めた。ケイさんがちょっと困っていたことは、1年生の男子生徒エイチくんが、彼の言うことを聞いてくれないことだった。次のことをする時間になっても、なかなか遊びを止めてくれないし、食事の時間がきても「食べない」と言って動かなかった。他の指導員の言うことはすぐに聞けるのに、ケイさんの指示には従わず、集団行動に合わせてくれなかった。ケイさんは、自分が優しいから言うことをきかないのか、厳しくした方がいいのかと迷っていた。

その困っている状況を調べるために、私はケイさんにエイチ君役を与え、私がケイさん役にになって、対話のドラマを演じた。ねらいは、ケイさんがエイチ君の立場で考え、その関係をこちらも理解できるようにすることである。観客は他の参加者の2人の女性(60代の相談員・元教員)である。

ケイ役(私):エイチくん、俺のこと嫌いなの?
エイチ役 (ケイさん):きらいじゃないよ
ケイ役:けど、他の先生のいうことはよくきくのに、俺のいうことはきかないじゃない。
エイチ役:きいているよ

こんな風の対話劇の後、ケイさんは、「そんな風に話しかけたことないな」と感想を一言。実際の場面でも、ケイさんはエイチ君がいうことを聞いてくれていないと思っているのに、本人は言うことをきいていると言っているとのことだった。すぐには言う通りにしてなくても、最後には聞いているつもりかもしれない。
もしかしたら、エイチ君は、ケイさんが嫌いというよりも、逆にケイさんが好きなのではないか。エイチ君の心に応じてくれそうな優しいケイさんにアンビバレント(好きだから困らせる・両極的感情)な態度で関わっていると思われた。

そう考えたのは、保育園で見られる子どもの行動と相通じるものがあったからだ。
娘が2歳頃だったと思うが、保育園に迎えにいくと母親である私の所にはすぐにはやってこなくて、ずるずると遊んで帰ろうとしなかった時期があった。「あれ?どうして?」と戸惑ったものだった。いつまでも続いたわけではないが、母親を求める娘の思いを十分受け取れないままに仕事を続けてきた事、それが娘との関係に影響したと今は思っている。
そんな母子関係にありがちな関係の理由が知りたくて、他の母親たちとドラマ法で演じて調べてみたこともあった。母親役と子ども役の二人での簡単なロールプレイをした後で、見ていての感想、演じてみての感想などを出し、意見交流をした。子ども役を演じた母親は、自分の子どもにもそんな時期があったそうで、理由が分からずにいた。けれど、演じてみて、また観客の感想や意見を聞いて、理由が分かったと言う。それは、無意識的に、母親にもっと自分をみていて欲しいという願い、甘えからきているとの発見であった。子どもは大好きな母親とつながりたい、認めてもらいたいと母親を困らせるものなのだ。

舞台は東京であったが、親を困らせている小1の娘の母親の相談を受けたことがある。母親は、無痛出産で娘を産み、産んだという実感がなく、子どものことは祖母任せにしてきたと反省していた。一年生の娘を車で迎えにいき、車の中で学校での出来事が話題になると、娘は自分が学校でダメな子どもだと事実をたくさん報告すると言う。先生に「バカと言われた」とか、「靴を盗まれた」とか、「友達の手紙を隠した」等である。
そこで、現実の関係をドラマで母親と一緒に再現してみた。私が母親で、母親が娘になった。それをやってみると、私には母親との絆を求める娘が、「こんなダメな私でも愛してくれるの」と母親の愛を試しているように思われた。母親は、初めのうちは、やさしく聴くのだが、最後にはいらいらしてしまい、叱ってしまうとのことだった。そこで、今度は役割交代して、母親は自分を演じ、私が娘になってロールプレイをした。母親が娘の世界を感じ取れるように、私が思う娘の感情を表現して演技していった。そして、外側から見ているだけでは分からなかった娘の立場を、母親は感じ取っていった。自分をダメだと思っている娘にいかに応答したらよいのか。子どもが何を言っても、怒らずに受け入れて応答することは難しいが、母親には三つのOKを意識するようにコメントした。その三つとは、①母親自身にオーケー(罪悪感を持たない)、②娘のありのままにオーケー(自己肯定が育つように)、③起こった出来事(人は間違いを犯しながら成長する)もオーケーである。
言葉かけとしては、例えば「それは嫌だったね。お母さんはいつもマイちゃんの味方よ。人は、喧嘩し、失敗したりなどして、いろんな経験をつむことで、大人になっていけるから大丈夫」など。その後、このコミュニケーションスキルは役に立ったようで母子関係はうまく進んでいったとの報告を受けた。

話をもとに戻すと、ケイさんとやったもう一つのドラマでは、観客だった二人に、エイチ君の親に関する情報は与えないで、父と母の役を与え、ケイさんは自分役でのドラマ場面を設定した。

ケイさん(自分役)が:エイチくんは、学童では皆と合わせなくて、自分のペースですが、家ではどうですか?
父親役(ハマさん):家ではそういうことは全くありません。
母親役(シンさん):夫は仕事に忙しく子どものことはあまり、分かっていません。家でも同じようにいろいろと問題があって困っています。

母親役は、自分が学校で出会っている手のかかる1年生と似ているということで、そのイメージを活かして、どんどん話していた。それを聞いたケイさんは、エイチ君の両親と似ていると驚いた。
(後で聞いたことによると、エイチ君は、学校で暴れることはなく、先生の指示をよく聞く、静かでおとなしい生徒だそうだ。エイチ君は、学校とは違う顔を学童でケイさんに向けていたのである。この研究会の後、ケイさんは、学童の指導員として、エイチ君に向き合う姿勢を変えた。その結果だろうと思うが、エイチ君も少し落ち着いて、友だちとのいい雰囲気も見られるようになっているとのことである。)

母親役になったシンさんは、自分が担当する学校の一年生で、授業中教室を出て行ったり、暴れたりする生徒がいて二人もいて、指導員として手をやいていた。しかし、不思議なことに、一人は、母親が学校の教室にいるだけで、暴れることは全くないと言う。もう一人は、暴れてまわりを困らせるが、先生の手にふれたり、胸に触れたりするそうである。この二人の小Ⅰ生の行動には、幼児期の子どものママ恋しさ・スキンシップを求めている様子が感じられる。心が、まだ幼児期を引きずっているらしい。この引きずっている何かは、理解されないままいくと、大人になっての親不信・人間不信・自己不信につながっていくこともありえる。

子ども時代を甘くみてはいけない。子どもたちの思いをしっかり受け止め、そのこだわりや心のしこりをほぐして、理解しあう確かな絆・人間信頼を育てることが重要だ。ここでは、愛着関係にだけ焦点を絞っているが、子どもの問題は母子関係に還元できるほど単純ではない。物事は一つの関係だけで起こることはなく、たくさんのことが絡んで起こるものだ。しかし、親子や家族の絆を確かなものにすることが、幼年期にはもっとも重要だ。仕事中心・お金中心ではない、精神共同体、経済共同体、生活共同体としての家族の復活が望まれると思う。子育ては思うようにはいかないものだ。子どもは自分の心のしこりを引き受けつつ成長していく。子どもに問題行動があるとしても、子どもの力を信頼し、みつめ、励ますことで子供は頑張ることができる。

  


Posted by 浅野恵美子 at 02:00Comments(0)人生

2018年10月31日

心の宇宙散策86 幽霊・妄想・自己分裂のルーツ



 玉城小学校で地域ボランティアとしての読み聞かせで、良く読まれているモチモチの木(斎藤隆介作・滝平二郎絵)を読んだ。
私とTさんは1年2組担当で、「今日は二人でやります」と自己紹介し、私がちょっと速く絵本を読んだ。生徒たちは、集中して聞いてくれた。読み聞かせの後、二人で絵本の中の「まめた」と「じぃさま」を演じ、生徒との対話に持ち込んだ。

 「わたしがじいさまだ。こちらがまめただ。何か質問はないかね」とじいさま役の私が生徒たちに尋ねた。生徒たちはとっさのことで質問が浮かんでこないようだった。
そこで、「まめたは、強いかな、弱いかな」と問いかけると一人の女生徒が、「やさしいです。優しくて強いです」と発言。絵本の内容をよく理解しての発言であった。私は、「そうだね」と同意し「まめたは,どう思っているかな」とまめた役に言葉を向けた。まめた役のTさんは、その身体を小さくして、「ぼくは夜が怖いし、おねしょすることもあるし、強くなれない。だけど、じいさまのようになりたい・・」と演じてみせた。
「みんなは、親が夜中に病気で死にそうになった時、どうする? 」と問いかけると、生徒たちの意見がどんどん出てきた。病院は遠いし、夜は一人で歩くのはあぶない、変な人(不審者)がいるかも知れない、ハブが出てくるかもしれない、ゆうれいも怖いなど・・・。

 不審者教育のお蔭か、彼らは自分を守る責任をよく心得ているようだった。彼らにとっては、とてもじゃないけれど自分の手に負える問題ではないのだ。私にもその困り感が伝染して、隣の家に助けを求めるという考えすら思いつかなくなっていた。
「ゆうれい見たことがある人」ときくと、何と10人以上の男生徒たちが「見たことがある」と手をあげた。このクラスでは、男生徒の間でゆうれいのことが話題になっているらしい。

 この生徒たちとの出会いから、私は妄想や幽霊との付き合い方をロールプレイで小学生にも教えてもいいかもと思った。心理劇では、幽霊も妄想も受け入れて活かすことができる。見えない存在を存在させて考えることは、心のケアに役立つし、心の宇宙を広げることになり、結構面白い。

 カウンセリングで、相談にのっていたアイ子(仮名)という学生と幽霊との対話をしたことがある。彼女は「今は亡き男性タレントの霊が自分に取り付いている。そのため、彼に囚われないように、いつも何かをするようにして、逃げている。その人さえいなければもっとやすらかに過ごせるのに」とその苦しんでいた。
 そこで、私は「そのタレントに、話を付けてやる」と言い、心理劇を提案した。彼女がその男性タレントになり、私は彼女のカウンセラーとして、今は亡き男性タレント役となった彼女に話しかけた。
「初めまして。アイ子さんのカウンセラーで浅野といいます。あなたはとても有名な方で、ファンもたくさんいるのに、なぜ、この人に取り付いているのですか。彼女は、貴男のおかげで毎日がとても苦しいと言っています。」
タレント役のアイ子は、「二人は愛し合っているとか」、「はなれることは難しい」とかいろいろな理由を述べたが、私は、「アイ子さんから離れてくれ」と粘った。困りはてた男性タレント役(幽霊)の彼女は、「私ではなく、アイ子さんの方が私に取り付いているのです」と言った。彼女は、その言葉を言ったとたん、我に返り、「自分はおかしいのだろうか?」と問うた。私もはっとしたのだが「そうだねー、心の癖だね」と答えた。
彼女の心の中で、好きだったのは自分なのに相手が自分を好きで縛っているとする関係の逆転が起っていたらしい。彼女を縛っている幽霊は、マイケルジャクソンだった。このような逆転は、めずらしくない現象である。彼女の妄想は、本人の欲望・願望であり、彼女を支える夢だったと思われた。

 話は変わるが、「はしるってなに~福島から詩を発信)(和合亮一文・きむらゆういち絵)という絵本がある。
福島の地震・津波・原発事故から逃れて、父親と離れて青森の祖母宅で暮らす少年の心の詩の絵本だ。福島ではよく父さんと一緒に走っていた。青森の祖母宅も、海のそばで福島の家の環境と似ているのだが、父さんと別れて暮らし、淋しくて、走ろうとしても走れないでいる。父さんに電話で励まされて、はしる気になって走り出すのだが・・・・前方に誰かがいる・・・

・・・・だれだ、とうさん?
いやちがう だれだろう
 だれ? 
はしる
 ねえきみ、はしるってなに?
え、ぼくだった 
 おいぬいた  
そして うみがきらきらしていた 
 とうさん きょう ぼく 
 ぼくのことをおいぬいたよ・・・

 この本の「ぼく」は、辛すぎて、どっちつかずの自分、葛藤する自己(走りたい自分と走れない自分)の分裂を体験したと思われる。僕が僕を追い抜くとはすごいことだ。やりたいこととやれることが一致したのだ。頭と体が一体になれたことかも知れない。

 私自身にも少し違うが、似ている体験がある。私の場合は、3歳を前に白血病で他界した息子の遺骨を教会の墓地のロッカーに入れてもらった時のことだった。ロッカーにあずけてそこを立ち去る時、とても悲しい思いだった。不思議なことだが、そこから立ち去っていく途中に、後ろからとてもみじめで生きるのも苦しそうな女が、重い足取りでついてきた。後ろは見てないのに、後ろから歩いてくる女がはっきり見えたのだ。けれど、私の心は、冷静だった。
 私は、後ろにいる見知らぬ女を感じながら、この人は幽霊なのか、もう一人の私なのか。私だとしたら、自分はそんなにもみじめな気持ちなのかと考えながら家路へと向かった。

 もう40年も前のことである。今思えば、自分の絶望を受け入れきれない自分がいて、絶望している自己が、もう一人の自分を存在させたのだ。幽霊か、妄想か、自己分裂なのかの判断は難しいが、いずれも同じルーツ・自分の心の問題とつながっているらしい。それは、自己の現実・本当の自分を自覚し、受け入れることができていないこと、自分と関係(縁)ある何かから起こってくるのだ。
 絵本の世界には、生きることを考えさせるたくさんの扉・ヒントがある。
  


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2018年10月16日

心の宇宙散策85 

宇宙に届け、沖縄の心

生きることに意味がないような思いがやってくることがある。疲れているときかもしれない。けれど、人はこの無力感をかかえながらも、子どもと出会ったり、人と喋ったりすると元気になる。命が輝くためには話せる相手いることが必要だ。海や空や木々たちと向き合っている場合も同じだと思う。空に向かっていると、沈黙する空が心に届いて、心も空になってくる。風と海のダンス、オーケストラのような海音の世界に触れていると、心は無限に広がっていく。そして、宇宙・地球・大自然とつながっていく。

翁長雄志知事の逝去を受けて、始まった沖縄知事選挙の嵐の中、私の中に選挙に自分をかけるほどのエネルギーが湧かず、動きたいのに動けない心があった。それはなぜなのか、何か自分にできることはないのかと考えていた。
・・・情報過多で何が真実か見えにくくなっている今の時代。どこに向かっているのか、どこに向かいたいのか分からないままに流されることが多い。何をやっても無駄ではないかと思ってしまうことも少なくない。私も、たまにその病にかかる患者の一人である。それは自然なことであり、無駄でもない。それを受け入れ、もがき、叫ぶことが大事だと思うのだが、心と体の機能不全ぎみの自分がもどかしい。

名古屋から沖縄に戻ってきた2003年10月、10年近く辺野古基地の反対運動で座り込みを続けている人々がいるのに驚いた。どうしてこんなことができるのか。不思議でならず、一人辺野古の小屋を訪ねたことがある。その訳はだんだんと分かっていた。それは戦争で家族を殺され、生き残った人々、特に父や母たちの無念がルーツだ。沖縄では戦後73年になっても戦争の悲惨さが多くの体験者によって語り続けられてきた。さらに、最近では隠されてきた真実が露わになってきている。沖縄人の平和を求める思いは、それを受けて、強くなり確信となっていった。

選挙は、対立ではなく、対立候補のあら捜しでもなく、フェイクでもなく、平和的な討論の機会であってほしいと願った。そこで、選挙民も自発的に、「心に届く願い」を詩にして発表しあったらいいのではないかと思いついた。そして、書いてみたのが次の詩である。発表する機会はなかったものの、これ書いてみると自分の心が落ち着いていった。

宇宙の届け、ウチナーの心

沖縄は忘れない!
戦争の悲惨さ!
殺されていった多くの人々!
廃墟になった大地を!
  
今なお、さまよっている亡霊たち
わが子を殺された父母たちの絶望
戦争トラウマで精神を病んで亡くなった人々
戦争による人の心と大地の傷あとは、今でも痛い
戦後73年になっても、沖縄の大地は軍事基地で痛められ、汚されている

時代遅れの軍事基地はもういらない
平和は、話し合い解り合ってこそ可能になる。
敵を作ってはいけない
 
沖縄は、もう我慢はしない 軍事基地はもういらない!
勝手に取り上げられた沖縄の大地は すべて帰してもらおう!
沖縄は、ウチナーンチュの魂を取り戻す‼
沖縄は、ミルク世の楽園になる!
沖縄は、サンシンと歌と踊りと対話と祈りで平和を招く!
沖縄は、世界に誇れる平和文化を生きる島になる!

  命をかけて 日本政府と向き合った翁長雄志知事
  冷たく横暴な日本政府と対決し続けてくれて、本当にありがとう
翁長知事の死に、沖縄中の人々はいっぱい泣いた
そして、翁長知事の思いは、多くの沖縄県民に引き継がれた
本当にありがとう イッペーニヘーデビル

      ああ、子どもたちよ、
      あなたたちがいるかぎり、大人は元気で頑張ることができる
      生きることに不器用でふがいない大人を許してくれ
あなたたちを愛し、あなたたちから愛され、尊敬される大人でありたい
あなたたちの笑顔が、大人たちの勇気の源泉なのだ
                       (浅野 恵美子)

  


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2018年04月02日

宇宙散策84 絵本を活かす人生探求ワーク

~「ねむりむしじらぁ」は、悪い奴か~



絵本を活用したロールプレイをすると、人は、それぞれにユニークな「一人一宇宙」の世界を生きていることが感じられる。今回は、「ねむりむしじらぁ」の絵本ワークの経験から学んだことについて書いてみる。
 
 ねむりむしじらぁの話は、分かりやすい短い話である。
・・むかし、首里の都に住む「じらぁ」という若者がいた。両親は年取っているうえにとても貧しいが、じらぁは働こうともせず、寝てばかりいる。ある日、じらぁはひょっこり起きて母親に白鷺を買ってくれと頼む。貧しい両親は、悩んだ末、一人息子の為に借金をして白鷺を買ってあげる。
 じらぁはその白鷺をこっそり飼う。けれど、ある夜、金持ちの家のガジュマルの木にその白鷺をかかえてよじ登り、暗闇の中で、隣の金持ち夫婦に「神のお告げ」を述べ、夫婦が承知すると白鷺を放つ。金持ちの夫婦は、飛び立つ白鷺に驚き、そのお告げを信じる。そして、翌日、じらぁの両親に頼み込んで、一人娘とじらぁを結婚させる。
 結婚した後のじらぁは、人が変わったようになり、一生懸命に働き、家族皆を幸せにする。・・
 
ねむりむしじらぁの絵本は、読み聞かせたり、絵本の物語と関連したロールプレイワークをしたり、研究会や授業などいろいろな場所でいろんな方々とやってきた。
じらぁをどう理解・評価するかは人それぞれであった。小学2年生でも「最初は悪かったけど後は頑張ったからいい」と言える生徒もいたが、一年生だと「働けば金は貯まる」として、じらぁを弁護する私に反論し「じらぁは怠け者だ」と主張する場面もあった。
 大人たちの場合は、ホリエモンだと否定する側と貧困の厳しさを重くみる側に分かれた。結婚詐欺、恋する娘との共謀、親孝行との考えもでたが、「じらぁが神様だった、神がのり移った」と考えた中学生もいた。
 じらぁの嘘を妻が知ることになったと設定しての劇で、妻役にじらぁを問い詰める役を与えると、「何かを買ってもらって許す」とか、「あれほど頑張ってくれた夫には何の文句もありません」という感じで、責める気持ちよりも許す気持ちが目立った。
じらぁの嘘が村中にばれたという設定のドラマもした。沖縄心理劇研究会では、嘘をとがめる周りの人から、じらぁを守る家族のドラマが展開した。ところが、日本心理劇学会(東京)では、じらぁ役の学生は、周りの批判にさらされて抵抗できなくなってしまった。まるでマスコミで不正を裁かれているかのようであった。若い学生には重すぎる役で申し訳なかったが、今の時代の風潮が反映されたと考えさせられた。
 怠け者であったじらぁに白鷺を買い与えた両親は甘すぎるのではとの意見が出た時、ある母親は、「娘が不登校になった時、この子の心が動くのなら何でもやるつもりだった」と語った。この深い親心は、子の危機を共に生きてきたことから言えた言葉であった。
 
自信をなくし行き詰っていた真面目な学生に、私はこの物語を読んであげ、対話へと繋げてみたことがある。読み聞かせた後、「じらぁのことを悪い奴と思っているでしょう」と尋ねると、真面目な彼は「じらぁは、自分のことだけ考えている」と答えた。
そこで、私はじらぁになってロールプレイへと彼を誘い込んだ。じらぁ役の私は、「私が自分の為だけにあんなことができたと思うかね。皆を幸せにするために一世一代のかけにでたのだ。ばれた時の覚悟もしていた。君も自分にかけてみろよ)」と迫った。
 彼は自分をもてあまし、どこにも進めないでいた。いい人で、真面目なだけでは、人生はうまくいかない。彼は自分の現状、運命をどう引き受けたらいいのか見つけられずにいたが、「自分にかけてみろ」との言葉は彼に届いた。彼は逃げ腰の自分を反省し、不安ながらも前に進み、無理のない小さな冒険をするようになっていった。

 5年生の息子の不登校で悩んでいる母親が、大きなケーキをもって、息子と共に相談にやってきた。母子との三人関係において、初めて出会った息子の本音を聞き出すのは難しいことだったので、私は母親の不安や思いを息子の前で語ってもらい、息子には、聞き役に徹してもらった。私は「学校に行きたくなることはよくあることで行かなくてもいい。けれど、あなたにはお母さんを助ける役目がある」とだけコメントした。
 この後、私はここでも「ねむりじらぁ」を活用した。母子に読み聞かせた後で、母親にじらぁの母親になってもらい、私がじらぁになった。「どうして寝てばかりいるの」と尋ねるじらぁの母役に、じらぁの私は「お父さんもお母さんも自分も幸せにしたいけど分からなくて苦しい。」と答えた。その言葉は、事前に母親から聞いていたことがヒントになって、出ることができた言葉だったと思う。すると母親は、気持ちがいっぱいになって、涙がでてしまった。家族の物語とシンクロしたと思われた。父親は単身赴任で留守であったし、妹と息子は喧嘩ばかりしていた。息子と私はその涙を黙ってみていた。
 踏み込んだ話はしないまま、いろいろと雑談をして相談は終った。息子は、彼なりにしっかりして自分で考えていけると私には思えた。母親は、「これで終わるのか。息子は変われるのか」と不安そうだった。その後、息子は自分で学校にいくようになった。初めは、友達に呼びに来てもらったが、そのうち、呼びに来なくてもいいと自分で決めて、学校に通うようになった。部活もやるようになっているとのことだった。
 
 じらぁの物語は、カウンセリングにも活かすことができた。じらぁの人生を、良いとか悪いとか評価するよりも、人生について共に考え、交流できたことが重要だったと思う。( 本稿は沖縄保育問題研究会ニュース2018年4月号に書いたものに加筆している。)

  


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2017年03月10日

心の宇宙散策83 ニュージーランド旅行

ニュージーランド旅行
 
 南半球にあり、南極に近いニュージーランド。美しい島との評判は高く、世界中から観光客が訪れている。日本からの観光客も多く、そこで働いている日本人も多い。
そこは、南極に近いにもかかわらず、雪は降ってもあまり積もらない。大地から噴き出す間欠泉がおおくあり、それがその地をあたためているのだろうか。2月は夏から秋に向かう季節であるが、気温は10度以下になることも多く、一日の間に春、夏、秋、冬があると言われている。寒さに弱い私は、ダウンコートをもっていったが、何の違和感もなく、それで寒さをしのぐことができた。そこでは、人々は、夏服も冬服もオッケーで、それぞれの体感に合わせて服を着ていた。曇りと雨が多かった北島は寒く、快晴だった南島は、紫外線が強く、日中はとても暑かったが、朝夕は寒く、ホテルは暖房が効きすぎて眠れなかった。
 
 ジャンボツアーでの沖縄からニュージーランドまでの旅は、沖縄~台北~シドニー~オークランド(北島)と、三度飛行機を乗り継ぎ、台北―シドニー間は機中泊で9時間の飛行であり、オークランドについた時は、若くはない体は疲れはて、足は膨れていた。

 ニュージーランドでは、北島にある大都市オークランド、飛行機で渡った南島のクイーンズタウンとクライストチャーチを中心に案内してもらった。バス旅行では、添乗員の通訳などを含む多くの世話にあずかり、地元の日本人観光ガイドたちからたくさんの現地情報を聞くことができた。息を飲むようなすばらしい風景、延々と広がる広々とした牧場地、美しい山々をみていると、心は宇宙的に広がっていった。おまかせの、いいとこ取りの観光ではあったが、何人ものガイドの話を聞き、大地に立つことで、この国の全体像が少しはつかめた。

 この」旅行で最も考えさせられたことは、自然を大事にするその姿である。南極に近く寒い土地であるにもかかわらず、放牧されている牛や羊などの牧舎はなく、大地に溶け込んで暮らしている姿は、平和そのものに見えた。人間の都合による牧牛ではあっても、生きている間は、幸せに健康に暮らさせているとのこと。だから、牛の肉はとてもおいしいというのは、食べてみて納得したが、殺されて食べられる幸せな牛たちには申し訳ない気持が湧いた。牛さん、ごめんなさい。ありがとう。
かつてのニュージーランドは、鳥たちの楽園であったが、ポッサム(イタチ科)や鹿やうさぎなどの外来種が外から持ち込まれ、その外来種は、強敵がいなくて住みやすいことから異常繁殖して、生態系を脅かしている。ポッサムは捕獲されると毛皮その他に活用されて、生態系を守るための資金源として活用されている。

 実は、広く延々と続く美しい牧場は、森をかなり伐採して作られたもので、人の手による乱開発の結果であった。その反省もあって、自然を守るための決まりがたくさんできていった。例えば、魚つりをするには許可証が必要であり、しかも小さい魚は釣ってはいけなくて、 釣っていい魚の数も決まっており、釣り人をチェックするお巡りさんもいる。そして、ルールを守っていないと厳しい罰金が課されるのだ。

 現地の先住民マオリ族のように、大地を神様のものとみなし、感謝して、大事に扱う精神は、沖縄の人々の間にもあり、県民は軍事基地建設反対の運動を何年も訴えているが、日本政府と米国は無視し続けている。マウントクックと呼ばれている最も高く、年中白い氷河でおおわれている山は、先住民のマオリ族が神とあがめる山である(下の写真)。氷河は温暖化で年々少なくなっているそうだ。そこは多くの人々がトレッキングに訪れる観光地の一つである。私たちは、往復3キロのトレッキングに参加したが、ガイドは、道すがらみられる高山植物やこけなどを紹介し、踏まれないようにと気遣っていて、山へのやさしい思いには感動した。こんなにも自然を愛することができるのかと。

 それに比べたら、沖縄の大地は、米軍基地によって有害物質で汚染され、辺野古の海は乱暴な扱いを受けて、強大な日米共有の軍事基地が作られようとしており、米軍の訓練では、毎日のように実弾をぶち込まれている山もある。

 
 驚いたことは、観光地として栄えているニュージーランドに、外資系企業が入り込んできて土地を買いあさり、土地の値段が高騰し、庶民が家を持てなくなり、家賃も高騰し、大学生も家を借りられず、シェアハウスで何とか頑張っている事実である。
 政府も驚いて、外資系企業が購入した土地は「3年間は売ってはいけない」とルールを作ったそうだが、遅すぎたそうである。お金の力にものをいわせる乱暴な資本主義が、人々の暮らしを変え、貧困層を増やしている事を、ニュージーランド国民は、はっきり目撃している。これは世界中で起こってきたことであり、沖縄でも起こっている。
 
 もう一つの感動は、星空である。南十字星が見えるかも知れないと皆で、夜に湖の近くへと散歩にでた。私たちは空に広がる星空に目をみはったが、星に詳しい人がいなくて、オリオンだ、天の川だ、南十字星はあれかしらなど推測した。その天の川が、虹のように空に広がって見えたのは感動であった。沖縄ではそんなふうには見えたことがなかった。
 
 帰路では、夕方午後7時過ぎクライストチャーチから台北へ、台北から沖縄へと戻った。夜間飛行であったため、私は飛行機の窓から、きらきら輝く満天の星空を見た。雲のない快晴の空、飛行機の翼の向こうに星々がはっきりと輝いていた。私は、時速800キロで飛んでいるというゼット機の轟音を聞きながら、飛行機が止まって見えることに気づいた。飛行機が、前に進んでいないのだ。島々を下に見ながら飛んでいたときは、飛行機は動いているのが分かったのだが、その時は動いているようには見えない。無限のかなたにある星空の光景はいつまでも変わらず、同じ光景の中、飛行機は動いていないかのように見えたのだ。
 
 昔、小学4年のころ、「大きく見える星が大きいとは言えない。星の大きさは、色や光を分析することで地球からの距離や大きさがわかる」と本に書かれていたことを思い出す。私は、その時、「真実は見ただけでは分らない」と思い、大げさに言えば、思考の大転換だと思ったものだった。飛行機は止って見えたが、動いていた。目に見えることだけで判断してはいけない。

 ニュージーランドの美しい大自然と現地の人々の暮らし、出会い、また初めて出会った旅なかま間での楽しい会話は、人間交流かつ情報交流であり、有意義な学びでもあった。あの素晴らしい大地は、私の心にいつまでも残るだろう。地球の美しさを守っていかねばと考えさせられ、切に願い、祈る気持ちになった旅であった。
いつまでも輝いていてくれニュージーランド。
いつまでも美しい大地と海であってくれみんなの沖縄、そして日本列島。


             

  


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2016年03月31日

心の宇宙散策82 沈黙~ただ、そこに、いるだけ



 私は、授業で瞑想をして、集団で静かにしている時間と空間が好きである。共に沈黙を共有していると、学生たちと私自身の心のざわめきは静まり、教室が神聖な空間に変わっていく。そして、授業もうまく進む。自分という顔・自我・人格から解放されて、語らずして共有する空間は、一人ひとりの別々の時空ではなく、繋がりあっている一つの時空となって何かが動きやすくなる。
太古の昔は、人々は、共に暮らしていて、「私」という言葉をもたなかった。人々は社会的な顔=人格に縛られることがなく、今の私たちよりも見えない深いつながりのあるワンネスの世界に住んでいたかも知れない。
・・・・・「私」という意識が高まるに比例して、その場所の有用性は失われてしまった。その場所とは、聖地のことである。聖地巡礼は、「集団による実験」であった。「そこでは広大なスケールで神聖の降臨をまねくことができた。人々が無垢で素朴だったころ、こうしたことは非常にたやすく起こったものだ。今日とは違って、そのころティールタにはもっと深い繋がりがあった―空手でそこから戻る人はいなかった。しかし、今日の巡礼者は、空手で戻ってくる。だから何度も何度も行かなければならない。・・・・社会が無垢で素朴であればあるほど、個人の人格を意識している人は少なく、集団での体験は成功しやすい。・・・(和尚 隠された神秘 市民出版社 p90)
顔、つまり人格を意識すると、人は個人中心で考え、見えない空気と直につながることが難しくなる。私ということをさほど意識しない原始共同体では、以心伝心は難しいことでなかった。それは「沈黙の知」なのだろう。黙って見つめ、耳を澄ましていると見えない何かが開かれることは珍しくない。

 大学を辞めていく学生の中には、大学での人間関係がうまくいかず、集団の中で孤立感を覚えていた者がいる。私は、「うまくかかわれなくてもそこに居るだけでいいのよ。そこに居さえすればちょっとしたことで、接点ができてきて自然に友だちがみつかるよ」とコメントしているのだが、本人にとっては、事はそう簡単ではない。
私自身も、大勢での立食パーティなどは慣れていなくて、居場所が見つけられない気持ちになることがあった。その場で、私はしばしば身体と心の居場所がわからなくてうろうろしたものだ。知らない人や知っている人が多い中で、誰とどんな話をするのか、何を食べるか、どこで食べるのか、どのタイミングで食べるのか、何のためにここにいるのかなどと考えて、そこにいることを楽しめなかった。この状況は、自由でありながら、居心地が悪く、不自由ですらある。学生の場合も、勉強のために教室にいるはずではあっても、自分の身の置き場=居場所がはっきりしていないのだと思う。

 ある会合に出席するかどうかで私は迷っていたことがある。どんな顔でそこに居たらいいのかと考えると面倒であった。その時、とにかく出席して、ただそこにいてみようと覚悟した。そこの空気と共にいて、いい出会いを期待しながらも、無理には何もしないでいいし、心が動けば動くに任せればいいのだ。そこにいて、自然に生まれうる何かを邪魔せずに、生まれさせようと願った。すると、意外にも、自分の出番も自然に生まれ、驚くほどに、楽しい意義深い出会いができたのであった。場の力・可能性の源が動いたのである。
「可能性の源」とは、そこの場に自然に、自分を開き、そこの場にある物や人と響きあって、集団が共にいることで開かれる何かである。その時、その状況において、部分の総和以上の何かが生まれるのだ。その場でのさまざまな存在の思い・雰囲気・波動が響きあって、何かを動かす統合的状況かも知れない。それは、誰も意図せずして、誰かの願いやそれ以上の何かを起こさせる力である。それは、自分がいるそこに自分がいること、足が地についていること=グラウンディングがあって可能になると思われる。

 東京からきたある男性は、沖縄で出会った女性と結婚して、妻の親戚の法事に出席して食事を共にする度に、「意味のない話ばかりしている、今の重要な政治的な話はほとんど出てこない」とがっかりした。彼は、自分が周りにとってクレイマー的な存在であり、嫌われているといることも自覚していた。私はそれを聞きながら、沖縄の人の人格に縛られないおおらかさを思い、都会人の情報通や言語レベルの高さを思った。都会人は、言語の力を駆使して目標優先で生きており、沖縄の人は、「なんくるないさ」(なんとかんるさ)で生きていて、「いいかげん」(好いかげんなのか、適当なのか)である。「いいかげん」のプラス面は、流れに任せること、マイナス面は見通しが甘いことであろう。田舎の人は自然人に近く、都会人は能率的によく働くが、共にいることの力を見失いやすいかも知れない。

 今の時代は、言葉中心で、男性脳的な生き方が優先されており、見えないものを見ようとしないで、見える結果を求めて動きやすい。それが、暮らしのあらゆる分野にはびこり、情報過剰な人工的環境となって人々を支配し、惑わしている。人間の頭で考えるようには、事は動かない。大きな見えない流れがあることを承知していたい。「知に働けば角が立つ」のだ。理念先行で、自分の尺度で他者を評価することは避けたい。「沈黙の知」が分かる人がふえて、新しい生き方を選択する人々がたくさん沖縄にやってきているが、それも自然な大きな流れであり、新しい時代の予兆であると思う。
  


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2015年04月03日

心の宇宙散策81 祈り・言葉・人生


祈りとは何かとずっと考えている。
私の場合、祈りぬきには越えられない山がたくさんあった。子育て真っ最中だった頃、微熱のあるわが子を保育園に預けざるを得なかった時、「明日は休めるから今日はがんばってね」とまだ言葉を知らぬ娘に語りかけ、「神さま、この子を守って下さい」と祈っていた。
また、手紙をポストに入れる時、乱れた字や内容が気になって投函をためらうことが少なくなかった。けれど、「この手紙がいい関係へとつながるように」と祈ることで投函できた。祈りは、自分の不安や神経症を治めてくれたと思う。  
ある人が受け入れられない時、昔はかなり引きずっていたが、今では相手に向かって「今はあなたを受け入れられないが、あなたが成長し幸せになる権利を認めます」のような祈りの思いを送って、決着をつけるようにしている。反対に、私の方が、不用意な発言で、結果として相手を深く傷つけてしまったこともあった。その相手から冷たくされて、なすすべもなくて辛抱していたが、その方が病気で他界した時は、私のことを大事にしてくれたこともたくさんあったことを思いだし、心からその方に向かって謝り、祈り、己の未熟さを反省した。
あるカウンセラーが、祈りのない家庭の危うさを指摘していたが、古代から続いている「祈りの文化」なしには、家族は守れないのではないか。誰かが家族を大事に思い、祈る心で向き合わなければ、特に現代の家族は簡単に崩壊していく。
今の世の中は、科学と物への依存が過剰となっており、表面だけに囚われ、見えない真実を見抜かず、言葉でのみ勝負する風潮がある。例え、表むきには対立しても、一方が仲よくなりたいと願い、祈りつつ待つことができれば、友情は伝わり、関係は回復できる。

先日、ある勉強会で、祈りのことが話題になった。子育てで悩んでいたSさんは、「自分の子どものことで何をどう祈ればいいのか分からない」と言い出した。確かに祈ればいいというものではないし、祈りの内容が大事である。
自分自身のことなら何を祈っても自分で結果をひきうければいいだけだが、自分以外の人のことを祈る時には、たとえわが子でもマナーがあるだろう。特に、巣立とうとしている子にとっては、親がわが子の問題を自分のことのように悩み過ぎることは、ストレスになりかねない。子どもが親から心理的離乳(自立)するのは意外と難しいものだ。「親という重荷」に縛られ、長い間、親を受け入れられないでいる人もいるのだ。
我が子にかまい過ぎたのではないかと悔やんでいる彼女の場合、「この病気という躓きを通して、息子が、自分の人生の試練を自分で引き受け、豊かな人間へと発達する機会となりますようにお助け下さい。親にできることをやらせてくださいと祈るのよ」と私はとっさに言っていた。そして、私たちは、祈りの重大さ、難しさ、不思議さへと開かれていった。
祈りの内容・言葉は関係状況をいかに認識するか、何を望むのかで変わっていく。言葉は人の心を方向づけるものであり、感情と思考と身体(快)が一致している祈りの言葉には、やる気を促すマジックパワーがある。
 
欧米では、祈りの効果を調べる実験が、植物でも人間でもなされ、祈りのもつ効果が知られるようになっており、特に米国で、代替医療のひとつ「Prayer Therapy―祈りの療法」として広がっているそうだ。
ネットからほんの一部を取り上げて紹介してみる。
「・・10年以上にわたり研究、実験をしてきたスピンドリフトという組織の調査報告書があります。そこでは、祈りの効果を客観的に研究していて、麦の発芽と祈りの関係や病気の人に祈った場合と祈らなかった場合などの実験で、祈りの効果について次のようにまとめています。
 1.祈りは実現する。
 2.苦しい時ほど祈りの効果がある。
 3.祈りの量は祈りの効果と比例する。
 4.対象を明確にした祈りが効果的。
 5.祈りの対象の数が増えても効果は減らない。
 7.「無指示的な祈り」は、「指示的な祈り」より効果が大きい。
 スピンドリフトの研究者の最も重要な功績は、「無指示的な祈り」と「指示的な祈り」を区別したことです。「指示的な祈り」とは、例えば、ガンが治癒すること、苦痛が消えることなど、祈る人が特定の目標やイメージを心に抱いて祈ることです。いわば祈る人は宇宙に「こうしてくれ」と注文をつける祈り方です。無指示的な祈りは、なんらの結果も想像したり、注文したりせずに、ただ、「最良の結果になってください」とか「神の御心のままにしてください」と宇宙を信じてお任せする祈り方です。実験結果では、「指示的な祈り」と「無指示的な祈り」のどちらも効果は上がりましたが、「無指示的な祈り」のほうが「指示的な祈り」の2倍以上の効果をもたらすことも多かったのです。」(片野貴夫のブログからの引用)ということである。

 悩みの中で、祈りの言葉が心から発せられる時、言霊パワーが働き出す。
祈りは人に生きる力と夢を与える素晴らしい文化である。祈りは、人生を全面的・統合的に生きる扉を開くツールである。
  


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2015年01月03日

心の宇宙散策80 近代的思考の限界・閉域を開くアドラシオン思考

フランスの著名な哲学者、ジャン・リュック・ナンシーは、「アドラシオン~キリスト教的西洋の脱構築」(新評論)において、キリスト教を無神論へと脱構築させ、神話も偶像もない「開かれた世界」を示している。無神論はキリスト教の起源に書き込まれていたという。ここでは、ナンシーが示す近代的思考を超える人生の新しいヴィジョンに注目してみたい。
メランベルジェ真紀(訳者)解説によるとナンシーのいうアドラシオンとは、・・・「時間の外」「生の外」「言葉の外」「意味の外」を、今この生のただ中で生きること、すなわち「今ここ」という状況を超過してしまうものを、超過としてまさに今ここで生きること、そのような無限とのかかわりのことである。・・・P243
それは、まるで神を殺し、無限という名の神を生きる新しいマナーであり、「この世」に「あの世」を存在させ(それは古代的な自然な感性であるが)、人々に神話や理性や信仰や言葉などのさまざまな縛りからの自由を与え、縛りではない新たな意味の可能性を自ら開き、個人と無限とのつながりを回復させ、より創造的に、自分が思う自己概念を超えて、万物と共に生きる世界へと導く視座である。

フランス語のアドラシオンは第一義的には、崇拝を意味している。
ナンシーは言う。・・・・崇拝することは、あらゆる宛先を超越するものへと向かう/自らを送る。さらには、それは到達を目指すことなく、意図さえなく向かう。どこかへ向かいさえしないことを受け入れる。それが送られる外を、めざすことも指し示すことも認識することもできないことを受け入れる。それを外と識別できないことさえありうる。なぜならそれは今ここで、他のどこでもなく、大きく開かれた「ここ」で起こるのだから。それは開いた口、あるいは眼、耳でしかない。ただ開かれた身体でしかないのだ。それらのあらゆる開口部に於いて、身体は崇拝/差し向け/語りかけのうちにある。
「大きく開かれたここ」、今やそれこそが世界であり、それはわれわれの世界なのだ。それは他でもないそれ自身に開かれている。自身の内在に於いて超越しているのだ。もはや自分の存在理由を重んじるのではなく、それどころかあらゆる理由(理性)の---また同時にシニカルで懐疑的でばかげた全ての反-理性の---脱閉域を考慮することが世界には求められている。・・・・P54
「身体は崇拝/差し向け/語りかけのうちにある」とか「自身の内在に於いて超越している」とは、いかなることであろうか。それは、自分に見える現実、夢やこだわりや不安などの余剰現実、みえない物や意識できないものすべての身体に訪れる何か、つまり人間的自然を受け入れることであると思われる。それは、自我や理性が関与した意識的に「する」ことが多い日々の中に、自然に「なる」を受け入れて、あるがままの、受け身的な、関係的存在でいること、無限へと呼びかけていくことであるだろう。

ピアノレッスンで苦悩した私のアドラシオンらしき経験とつなげてみたい。
ピアノレッスンを始めたのは、2年前、65歳の時からである。学生時代にバイエルは練習していた。老人でも脳細胞は使えば活性化すると信じて、何とかできるだろうと考えてピアノレッスンに通うようになった。けれど、事はそう簡単ではなかった。自分の脳の機能障害がはっきりわかるほどに、何度弾いてもリズムがつかめず、曲の全体が覚えられず、指は思うように動かないのであった。頭のどこかで脳梗塞が起こっているのだと思った。そこで、曲のイメージを歌詞にして歌えるように工夫することで、曲を覚え、1年目のピアノ発表会は何とかしのいだ。
2度目の発表会は、たったの3人だけの大人の生徒を励ます意味で、二人のピアノの先生の好意から開催された。私は、先生の勧めで、すでに学び終えていたはずの好きな曲を選び発表会の為のレッスンへと入っていった。けれど、なぜか練習の効果が上がらなかった。後で思えば、その当時、私は、ここで話題にしている難解なナンシーの著書を読んでいた。難しすぎる内容に私は混乱した。脳は機能不全に陥り、練習が練習にならず、練習すればするほどできなくなっていったらしい。
「出演をやめた方がいいのでは」との思いも心によぎった。ピンチに陥った私は、宇宙に向かって「神様どうしたらいいですか?」と真剣に呼びかけた。すると「ベストを尽くしなさい」との答えが返ってきた。うまく弾こうとすることを止め、自分のペースで臨むしかないと腹をくくった。
発表会当日、神谷先生との事前の練習もやはり混乱していた。けれど、会場に着くと、会場の聖なる空間とわずかな客に少しほっとした。発表会が始まり、トップバッターで先生との連弾をまずまずでこなし、続いて演奏する他の二人の長い演奏を聴きながら2回目の出番をまっていた。その時、人間関係で困惑する人がよくやる「手もみ」のボディランゲッチを思い出した。演奏をききながら、自分を落ち着かせるために自分の手を揉み続けた。
そして私の出番がきて、ブルグミラー16番「小さな嘆き」を演奏した。緊張しながらも、演奏が進むにつれて、ピアノと自分の情感の世界とが響きあっていった。結果は、奇跡的にも混乱なく弾けたのである。神谷先生は「これまでで一番よかった」とほめてくれた。最善は尽くせたのである。

現代社会についていけなくて、宗教やシャーマンたちの言説やカウンセリングの理論に頼って、自分なりに神話的な世界をつくりながら何とか生きている私が、神の名において無限に呼びかけたことはアドラシアンであっただろうか。人は窮地に陥ることで、無に向かって呼びかけ、無から何かを引き出すことができる。それは、「自身の内在に於いて超越」し、「大きく開かれたここ」を生きた結果だったと思える。空や海を見て、無限や永遠に心を開くことは、大きな世界に自分の居場所をつくることである。

狭い視野狭窄の中で、嘘と現実にまみれて生きている人間。自分を見失って困惑する多くの人々。現代社会は、圧倒的な科学の力、情報過多などで人々の心を路頭に迷わせる装置だらけであると言ってもいいほどだ。お金や競争や名誉に毒されずに、小さな自我を超えた宇宙的な無の世界の中に、本当の自然な自分の願い・欲動を導く大きな力あるということを知る時、何かが変わっていく。しかし、神話は人間を方向づけ励ましてくれるが、それは一方で限界をつくる「閉じ込め」にもなりうる。

神話とは何か。ナンシーは次のように書いている。
・・・神話にもどってはならない。・・中略・・しかし神話作用というものを無力化してはならないのだ。神話作用とは、神話化するのではなく、神話がかつてその文化の中で操作していたことを別の形で再開し展開させる機能である。・・・・中略・・・つまり根底に於いては、限界のなさや測り知れなさや過剰といったものが、自然の生のうち、世界の常軌を逸した秩序のうちに書き込まれたものとして感じられるというその経験を表現することなのだ。
 そういう意味でもフロイトは「欲動はわれわれの神話である」と書くことができたであろう。欲動とは、われわれのずっと前からわれわれのずっと先までー生/死まで、内奥/異質のものまで、外部を吸収し/吐き出すまでー押しやり連れていく力である。われわれはその力を経験する。というよりはわれわれとはその力の経験なのだ。・・・中略・・・欲動は神話なく人間を神話化する。それはいわば純粋な神話と言えよう。つまりそこには神々や英雄の姿も不思議な出来事もなく、あるのはただ、意味や関係や世界を生成しながら生きようとするものの表象化できない推進力のみである。それはまた、存在や関係の破壊や死へと駆り立てるような力でもある。・・・・・p156~157

ナンシーは世界に広がっている西欧近代の思考の閉塞性を脱構築するものとして、アドラシオン思考を提示している。それは、科学に囚われず、見えるというシャーマンに惑わされず、世間や宗教的縛りに囚われずに、宇宙的存在としての自己と直接つながって生きよという励ましである。我々を駆り立てる力、「表象化できない推進力」、内から生じる神話や幻想を、宗教という形ではなしに、みてとって生きることは可能だ。人類は科学では捉えきれない世界とつながりながら歴史を紡いできたのだから。
これらの語りは、仏教でいう空、無為自然・無分別知、沈黙の知、瞑想、ワンネスの思想に近いが、「無神論」といいきることで示される何かがある。それは、幻想に惑わされずに、人生における死や無意味を恐れないで生きる覚悟を求めているように感じられる。私たちは、無/空に投げ出されている故、神的な何かを必要としているが、それは宗教ではない形で引き受けることができる。一人ひとりは分断された存在ではなく、サムシンググレイトとつながっている命であるのだ。
アドラシオン思考とは、自分を超えてある無限へと呼びかけ、つながりの中にある関係的生命を生きることである。それは、宇宙的生命の一端を担うものとして、借り物でない関係的で個性的な命を輝かせることである。それが、他者の言説や情報や周りに自分を支配させないで、自立して、常識を超えた新しい何かをみつけて生きる道である。それはまた。「いま、ここ」の無限に身体を開いて、「あの世」と「この世」を同時に生きることでもある。アドラシオン思考、欲動から導かれる神話作用は、人を自分を超えた次元へと超越させてくれるだろう。それは、すでに私たちが無意識にやっていることでもあるだろうが、意識的にやることで、「する」と「なる」を同時に生きることになるのかもしれない。
  


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2014年12月14日

心の宇宙散策79 仕事の張り合いと能力主義的評価

 教え子にあたる保育者たちが、変容する保育の現場にいて、「やっていられない。頑張るのをやめました」と悲鳴をあげていたのは何年前であっただろうか。あの頃、保育園にたくさんの業務が増え、普通の保育ができないことへのいらだちがあったと思う。今、保育者のなり手が少なく、保育者不足になっているのは、「給与が低い」だけでなく、多くのことを要求されすぎて、雑務に追われ、忙しすぎるという現実があるのではないか。
 私自身も、名古屋で短大教師をしていて、目に見える結果だけを要求され、自分が大学の歯車になっていくようで、「やってられない」と心底思ったことがある。仕事が嫌だったわけではない。学生たちを大事に思っていたし、研究も、教えることも楽しかった。
現在、カウンセラーなどをしてきていて、水面下で苦しんでいる多くの大人や子どもに出会い、考えさせられる日々である。資本主義的な社会システムという縛り、能力主義的な追い立て、結果としての不寛容な雰囲気などが、弱い人々を孤立させ、居場所を奪い、不安と自己否定へと追い込んでいる現実がある。
 現在、労働者を機能的・能率的に働くようにしようと一つの理想像に型はめするアメリカ流の管理主義の人事管理が、当たりまえのようにあらゆる職場に広がっている。
 2009年の新保育所保育指針の改定によって、保育園にもそのやり方が導入されるようになった。それまではガイドラインとしての指針であったものが、内容が大綱化され、法律的拘束力をもつ「告示」に変わった。保育者は、保育所保育指針をしっかり学び、自己評価を行い、説明責任を果たし、専門家として資質の向上に励まねばならない。
この新指針では、保育園や保育者がその指針に縛られ、創造的な手作りの保育、共に生きる人間的関係・連帯がしにくく、指針依存の言語脳的な保育になってしまう可能性があり、園集団の寛容な雰囲気や豊かな感性を見失う危険がある。
宍戸武夫は、「実践の目で読み解く保育実践~新保育所保育指針」で新指針の問題点を指摘している。ここでは「保育の計画と自己評価」についての箇所から紹介したい。
・・告示化された新「指針」は、拘束力を持つものとして強制され、五領域による「ねらい」達成が目標となると、それに準拠した「保育の計画」が作られ、それが絶対的なものとなり、反省すべきは「みずからの保育実践」であり、自らの保育実践を振り返り評価するものでなければならないのです。そこには「保育の計画」を絶対視し、保育実践の創造性をはばんでしまう危険があります。・・(上掲書)
また、実践の評価については、これからの世界の保育実践は、設定保育型ではなく、プロジェクト型の「主題・探究・表現」の保育実践とその評価に変わろうとしているとし、「一律の基準」からの評価ではなく、「多様な基準が許容される」表現活動を通じての評価が「のぞましいとしています。また、経営者団体による能力主義的な「人事システム」を保育所に導入することは、成功するものではないとも書いています。
「どこかの国の大企業ならいざしらず、かろうじて保育者の献身と協同によって支えられている零細的な保育事業にとっては、保育を向上させるどころか、創造的な保育活動にブレーキをかけ、子ども達も保育士も楽しさいっぱいであるはずの職場に冷たい風を吹き込み、あげくの果て、保育所をつぶしかねないものとなるでしょう」(上掲書)
 私はすでに保育園に冷たい風がふきこみ、保育者の個性が活かされず、保育の張り合いを奪ってきているのではと危惧している。指針に従って、まじめにやればやるほど、保育者間の協同と連帯がうすくなり、子どもたちを自分たちの目と勘で直にみつめて、そのときどきの子どものニーズをつかもうとしなくなってしまいかねない。ある保育実践報告を聞いてから、私はそのことが気になって仕方なかった。保育目標の設定が子ども集団や子どもたちの現状や様子ぬきに立てられ、結果は五領域と関連させての考察だったからである。
 人間は類的存在であり、集団的に自己を実現して発達してきた。保育園集団内での相互理解と支えあいは、保育園集団内の内発的なやる気、寛容な雰囲気となって、子ども達が安心して生活し、遊び、学ぶことを保障するものである。現在、保育園では自己評価も実施されているが、他者の評価枠での評価ではなく、保育者自身の目標との関係で行うのが望ましい。また、文書ではなく、顔を合わせて話し合あい、相互に学び合い、保育園全体の課題を明らかにしながらの集団評価の方が健全である。
保育者は、保育者集団の自治を高め、子どもたちにも共に暮らすメンバーとしての関係責任を自覚させ、年齢相応の子ども力を引き出し、共に考え、それぞれの状況にあった保育を創造していかねばならない。
レストランなどのサービス業で、マニュアル化されたサービスがあって、労働者が大体のことは同じようにやれるように訓練されているのは許容するとしても、保育の現場はそういうやり方に馴染む場所ではない。ちなみに、アルバイトで悩む学生の話を聴く限りでは、マニュアル化されたやり方で働くサービス産業の現場は、利益を出す必要に迫られ、労働者をこき使う場所である。そこは、それこそ、「飯のため」や「金のため」に働く場となっている。
 保育は「共にいること」からはじめ、その場の関係性・出会いの中で生活し、食べて、寝て、遊んで、学ぶ中で、子どもや保育者の物語、又みんなの物語がうまれ展開していく営みである。保育はコミュニケーション労働だといわれる通り、子どもや親をよくみつめて関わっていかねばならない。雑務に追われ、ゆとりを失っていてやれる仕事ではない。
 子どもたちを目の前にしている多くの保育者たちは、子ども達に励まされて楽しく保育できていると思うが、能力主義的管理に呑み込まれて活力を失うことがないように、よく考えていかねばならない。
 評価は、他人の評価も自分の評価も仮の言葉にすぎない。重要なことは、自分がどこにいるのか、どこへ行こうとしているのか、自分の内側からの願いや目標は何であるのかの自分を見る目の確かさである。自分を信じ、周りを信じて、人間の本性にあった、皆がそれぞれの個性を生かして支え合える空気を育て、共に生きる喜びを子ども達と共につくっていくことが保育や教育においては、最も肝心なことである。
 自分を大事にして仕事をすることは、仕事の張り合いがでることでもあり、人生で最も大事なセルフエスティーム(自己肯定感)を子どもたちに育てることにも通じている。




  


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2014年06月16日

心の宇宙散策78

みるく世をまねく戦わない生き方

 王仁魂復活の活動家・飯塚弘明氏を招いての講演会を4月12日に自宅で開催した。親しい仲間たちが20名以上も応援で参加してくれたので、にぎやかに話を聞き、発言もしてもらい、すばらしい学びと出会いがあった。

 私は、個々人の幸せを願う立場から人間心理や社会事象をみつめてきたが、個人にとって重要なことと社会や集団や文化にとって重要なことが、出口王仁三郎の教えである「世界を言向け和す(コトムケヤワス)」のキイワードには示されている。それは、戦わないで、後腐れを残さない平和な関係を育てる精神の作法であり、個人と集団と社会の平和構築の道しるべである。

 いま、憲法第九条と集団的自衛権が国民の大きな課題になっている。私は、憲法九条が制定されたいきさつは漠然とは知っていたが、あまりピンときておらず、武力によらないで、対話で解決することが重要であると思ってはいても、九条の「交戦権はこれを認めない」という文言を現実的に考えきれなかった。ある国が日本に戦争を仕掛けてきたとしら、戦わないでいられるか分からなかったし、この国際的な問題を自分の問題として受け止めきれないできた。しかし、日本は、敗戦後、世界に先駆けて戦争をしない国をつくろうと考えた先人たちの思いで平和憲法は作られたのであり、国民にも戦わない心が求められていたのである。

 飯塚弘明スーパーメルマガ(2014年4月1日号)にそのことがはっきり書かれている。私は、これを読んで、平和主義がピンときたので紹介したい。
・・・・・・・・金森徳次郎は、憲法を制定した第一次吉田茂内閣で、憲法担当の大臣を務めていました。言うなれば憲法を作った張本人です。その張本人がこのようなことを言っています。「わが国は兵力を持たぬということから、あらゆる危機と あらゆる損害を覚悟しなくてはならぬ」「いかなる戦争も自衛戦争の名をもって行うのが実情であって、自衛戦争を認めるということは、一切の戦争を認めるということに帰着する」
なんと当時の内閣は「自衛権」を否定していたのです。驚きました。私も勉強不足で、全然知りませんでした。しかしよく考えてみりゃ、あたりまえですね。憲法制定時から「解釈改憲」であるはずはないですから。「いかなる戦争も自衛のために行うのが実情」というのが当時の内閣の見解だったわけです。そして続けて金森大臣は次のように言っています。
 
 「真理を追求する熱情を持つ者は、そういうことに何らの未練もなく それを振り捨てて突進する。そして世界がわれわれの後に 追随して来るようにさせるだけの心構えがなくてはならぬ」すごい気概ですね。当時の日本人はここまで徹底して、地上から戦争をなくそうと決意していたのです!世界のリーダーとして率先して戦争を根絶しようとしたわけです。そして、その金森大臣の発言に対して、王仁三郎の弟子たち(愛善苑)は、このようにコメントしています。
 
 「まことにわれわれの意を尽した説明である」「戦争放棄とは、闘争の精神までも捨て去るものでなくてはならぬ」「闘争に非ず、また敵を生まないという理念と、その手段とが、今後の人類社会を根本的に支配するようにならなくてはいけない」「その源泉をなす真理が愛善である」人と争い戦おうという気持ちがなくなって、はじめて人類愛善の世界=みろくの世が訪れるのです。軍備を廃止しただけでは、みろくの世にはなりません。・・・・ (注:紙面の都合で部分的に省略した箇所あり)

 闘争の精神を捨てる、敵を生まないということは、凡人にはなかなか難しい。人は、嫌な人や目障りな人を作って、心がそれにふりまわされて消耗し、肝心なことができなくなっていくことが多い。心の相談の現場は、そのような問題ばかりであると言ってもいいくらいだ。それは口論、論争をするなということではない。しかし、もし論争や口論が相互の全面否定に行きつくとしたら、それはもう心の中で戦争が起こっていることである。

 いま、ここで、日々、社会システムにおいても、心の内側においても、みるく世の心=平和を通用させていくことが問われている。

 フィンドホーン発行のTHE PEACE BOOK(A..J.MUSTE著)にも、次のようなことが書かれている。
“There is no way to Peace, Peace is the Way.
( 平和への道があるのではなく、平和が道である).
 Inner peace is about connection with our true and natural self and a sense of being part of something larger”(内なる平和は、本当の自然な自分とつながり、自分がより大きな世界の一部であると感じていることにある)

 しかし、平和は、言葉や頭で考えるだけでは不十分である。日々の言葉に魂を吹き込む祈りによってこそ可能になる。祈りは、「意乗り」である。ゆるぎない意志をもって、みるく世の心をいき、平和の種を蒔いて、戦争しない国として、平和憲法を守っていきたいものである。
  


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2014年03月29日

心の宇宙散策77 顔を見せない批判・クレームの落とし穴

 
 大方の保育園には、親の意見を聞くための「意見箱」が置かれている。親は面と向かっては言えないことを無記名で意見を書いて投函していいことになっている。もちろん、保育者を励ますためのいい言葉も書いていい訳だが。
 園長先生たちとの研修会でこの無記名の意見でとても傷ついたという話がでていた。ある親が何気なく書いたかも知れないその心ない言葉にとまどい、傷つき、誰が書いたのだろうと、疑心暗鬼になってしまったのだそうだ。
 
 又、ある園では、子どものことで親と立ち話をして、親のいうことをただ聞いていただけのつもりだったそうだが、「子どもの問題を親のせいにしている」との役所へのクレームになってしまった。
 役所からの連絡でそれを知った職員と園長はびっくり仰天した。園長は「こんなことでは保育者になる人はますますいなくなる」と怒った。行政側が、親の声ばかりを大事にして、連絡してこられては保育者のやる気は失われていくと園長は思った。

 親にとっては、保育園はわが子が毎日世話になっている場である。無記名で投書したり、役所に訴えたりすることは、それぞれの事情があってのこととは思うが、やはり、顔を見せて誠実に向き合い、親としての関係責任を自覚してかかわって欲しいと思う。
 保育者側も、現代社会には、何気ない言葉で母親としての自分を責められているように感じる自己肯定感が弱い親がいるということを知っている必要があるだろう。

 なぜ、こうなってしまっているのだろうか。
 商業ペースで進む現代社会は、能力主義、成果主義、競争主義で、多くの人々は、お金に過剰に依存し、自分のことだけで精いっぱいで、家庭に隣人が入ってくることも少なく、相互の理解は進まず、暮らしや文化が多様化し、連帯がむずかしくなっている。その結果、園側と家庭との共通理解も十分でなくなり、このようなかみ合わない関係や誤解が生まれやすくなっているのと思われる。

 けれど、保育はサービス業なのであろうか。
 「保育サービス」という言葉が使われ出してから、保育園は変質してきているのではないか。保育園にとって、親はレストランにきた一過性の客と同じではない。保育園への関係責任を担っている側でもある。一方的な苦情で終わるのではなく、問題があるのなら、保育者の言い分も聞き、共に考えて保育園を支え、互いに学び合っていかねばならない。

 政府が子育て中の働く親の負担を軽くしたいと考えているのはいいことである。
 しかし、ワークライフバランス(仕事と家庭どちらも大事にできる)を問題にせず、仕事優先の暮らしを前提にして、さまざまな保育サービスを保育園に期待し制度化するだけでは、家庭と子どもは守れない。
 親子でゆったり過ごせる時間の中で、家族の人間関係が豊かになり、心のゆとりもでて、親子双方の健全な自己肯定感も心のゆとりも育つからである。

 お金を中心にまわる社会の中で、人々は何でもお金で買えると思い、サービスされて当たりまえの感覚になって、自分の責任を忘れていくのが怖い。こうした売る側、買う側の関係の中で、クレームや苦情が横行していく。これが一般企業ではなく、保育や教育の現場にも及び、人間関係を歪めているのである。人は、愛される以上に愛することで生きる活力を得ていく。責任をもって行動することではりあいもでて、人間としても大きくなっていくものである。

 今日の暴力的とも言える社会システムは、失業者を増やし、労働者を酷使し、過剰な情報で人々を支配し、人間本来のまともな心を見失わせている。


  


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2014年01月02日

心の宇宙散策76号)


世界を言むけ和す(ことむけやわす)

 2014年が明けたが、沖縄には単純に正月を喜んでいられない空気が流れている。暮れに、県知事の仲井真弘多が、明確な根拠を示すことなく、日本政府にお金で懐柔されて、独断で辺野古の基地建設を許可したからである。沖縄はいつまで戦争の為の基地を押し付けられるのか。多くの心ある県民は、怒りと憤りと無力感に翻弄されているだろう。このようなことがあっていいのか。正義というものがないこの状態をどう受け入れるのか。
 しかし、意地・自我や言葉だけで平和運動をしていてはいけない。平和を招くための行動は、自己の内面に平和が構築されていてこそ持続可能である。私たち一人ひとりの心に、何が起こっても平和を選び、いつも平和に、共に生きる覚悟が必要とされている。沖縄人の肝心と意地をみせ続けていきたいものだ。

 私は、ある霊能者Gさんとの出会いから霊界物語を知り、飯塚弘明著「超訳・霊界物語」太陽出版(2013年1月出版)と出会い、読んでみた。霊界物語は、出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう・大本教の教祖、霊能者、予言者)によって書かれている。ちなみにもう一人の教祖は出口直である。霊界物語の内容は、古事記のスサノオの神様が、地球上を我が物顔でのさばるヤマタノオロチを言向け和す(ことむけやわす)ことで、地上天国「みろくの世」を成就させる物語だそうである。ただし、暴力で世の中を平定しても、次のトラブルの種になってしまうではダメである。これが一番肝心なことなのであるが、これについては、若き日の暴れん坊、王仁三郎(幼名・上田喜三郎)を諭す祖母の語りかけが分かりやすい。

 物語は、若き日の王仁三郎が、弱者を助け強者をくじく任侠のように行動していた頃のことである。地元のヤクザとの9回目の大ゲンカの後、顔をつぶされたヤクザの若錦たちがやってきて、彼を袋叩きにし、大けがを負わせる。彼は親を心配させたくないと小屋に隠れて寝込んでいた。そこへ、それを聞きつけた母親と祖母がやってくるが、祖母が次のように話して、喜三郎を「言向け和す」(ことむけやわす)のである。

 「・・・侠客だとか人助けだとか言ってたまに人を助けても、助けたよりも十倍も二十倍も人に恨まれて、自分に災難が降りかかってくるような人助けでは・・・。昨夜のことは全く神様がお慈悲の鞭をお前に下して、高い鼻を折って下さったのだ。決して若錦や他の人を恨んではなりませんぞ。一生の恩人だと思って、神様にもお礼を申しなさい。・・・これからは心を入れ替えて誠の人間になっておくれ。」(上掲書 p42)
飯塚氏は出口王仁三郎の長い霊界物語83巻を電子図書化して誰にでも無料で公開している。私には、その膨大な内容は、まだわからないことだらけである。けれど、何よりもこの「無抵抗の平和主義」が気に入った。

 今の日本には、平和憲法(憲法第9条)を改正して戦争ができる国にしようとする政治家たちの不穏な気配がある。沖縄の人々は戦争が起こったら困る、基地のある自分たちの島が最初に攻撃されるかもと心配している。しかし、戦争は、単に政治や経済だけでの原因ではなく、人々の心の内側が乱れ、汚れ、戦争状態になっている時に起こると思われる。人は、内なる戦争状態から、外なる敵を見つけ出すものである。地球市民の一人ひとりが、戦争を起こさせない内面的な力を構築する必要があると思わずにはいられない。それは、どんな危機的状況がきても、身近な人々と共に、いま、平和に生きていく力である。

 飯塚氏によると、霊界物語や古事記などの神話は、現世との合わせ鏡であると言う。天上で起こることは地上でも起きるのである。「うしとらの神」とされている地球世界をおさめる正統な神様=国祖が、さまざまな謀略によって隠退を余儀なくされ、閉じ込められる物話(トイレの神様、鬼・般若にされる)も驚きである。権威ある神様なのに、かくも騙されやすいのかと思ってしまった。厳格で実直なだけではダメだったということらしい。他の善なる神も、邪神に変身していく物語も多く語られている。

 社会学者の上野千鶴子によると日本の神話・古事記は、「この世の統治者が誰であるべきか」(現代思想「古事記 総特集2011,5月臨時増刊号)を問うている物語であるそうだが、今日の日本社会でもまさにそのことが問われ続けている。スサノオのよしとする統治者とは、「世界を言向け和す」、つまり、暴力ではなく、騙しでもなく、言霊で平和を築ける神である。善が善である為には、多くの山を越えた叡智が必要である。

 「・・・・・神はいかなる罪人(つみびと)にも
  面(おもて)を背け排斥し
  怒りて精霊(みたま)を地獄界へ
  決して堕とすものならず
  そのゆえ如何(いかん)と尋ぬれば
  善と愛とは主(す)の神の
  珍(うず)の身体(しんたい)なればなり
  善の自体は害悪を
  決して加うるものならず
  愛と仁とは何人(なにびと)も
  排斥すべき理由なし・・・・・・・」 (霊界物語 第56巻第1章「神慮」)
        (飯塚弘明「霊界物語スーパーメールマガジン」から引用 )
  


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2013年11月02日

心の宇宙散策75

よみがえる過去の痛み

 M(59歳)さんは、夫との間に二人の子供を授かり、子どもたちはそれぞれに家を離れて、二人だけの平和な暮らしになっていた。けれど、夫はなぜか昔の苦しかったことばかり話すようになっていった。夫は、幼い頃、両親が離婚して母子で苦労した。母親が再婚した時には、義父と合わず、苦しい思いをして育っている。夫は妻に、「お前のような幸せな育ちの人には、私の苦労はできない」と言うばかりだった。

 Mさんは「私という妻がいるのに、今は幸せで何の不足もないのにおかしい。もしかして、心の病気の前兆か」と心配になった。私は、人は年を取るとこんな風に過去を振り返り、自分の過去に決着をつけるのだなと参考になった。身近にも同じようなことが見られたからである。

 人は生活に追われている時は、忙しくてじっくり悩む暇がない。問題や苦しみを飲み込んで前に進んでいく。ほっとしたころに、過去の悩み、苦しみが浮上するのだ。それは、本人にとって、辛いことかもしれないが、隠されていた未決着の問題や痛みと向き合い、その呪縛から距離が取れるようになる為に、こういうことが起こるのである。そして、それは心身の健康にとって自然なことなのだ。それはまた、安心して死んでいくための準備でもあるのだと思われた。

 Mさんとの対話から、そんなことを思っていたのだが、今年の6月23日の前後の新聞紙上では、しきりに沖縄戦トラウマ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のことが取り上げられていたので、改めて驚いた

 例えば、Hさん(77歳)は、戦争中、9歳の時に4歳の妹と離れて逃げることになり、大事な妹を死なせてしまったことを68歳の頃から思いだすようになり、心臓がどきどきし、うつ病と診断されたそうだ。戦争での辛い体験を、多くの人が60年以上たってから、続々と語るようになっているのだ。そして、それは簡単には癒えていかないのであった。

 辛い過去を思い出すことは、このように危険でもあるが、思い出して誰かに語ることで、トラウマから少しずつ距離が取れるようになっていくはずである。Hさんは、亡き妹との対話を続け、その苦しい変えられない過去に、意味のある言葉を見つけていく必要がある。

 後悔と苦しみを受け入れ、まえに進むために、その出来事に意味を与える言葉や祈りが必要であると思われた。人生は、話したくなる人、聞いてくれる人の支えによって、苦しかった出来事の意味をみつけ、受け入れて前に進んでいくものであるようだ。

  


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2013年09月02日

心の宇宙散策74 生まれる―産むことをめぐる人生ドラマ


 お産は、命がけのドラマである。若い頃の私は、そういうことはほとんど考えず、みんな産んでいるのだから大丈夫くらいの軽い気持ちで最初の出産に望んだ。けれど、第一子は予定日を大幅にすぎても生まれる気配はなく、陣痛促進剤で12時間頑張ってもダメで、帝王切開での出産になった。臍の尾が首にからんでいたので生まれようがなかったらしい。そして、二人目、三人目も帝王切開でないと危険ということになり、3回とも帝王切開での出産になった。

 2回目、3回目の計画的な帝王切開は、不安はあったが楽であった。お産をさせてもらったメディカルセンターでの手術は、外国人医師によるもので、皆で祈ってから始めてくれたので、気持ちがとても落ち着いたのを覚えている。

 けれど最近、帝王切開でうまれた子どもは、自分の意志ではなく、知らない他人に無理に生まれさせられる為、人生に対してもそんな印象をもってしまうことがあると断言するメルマガに出会った。私の子ども達はどうだっただろうかと気になった。それというのも、3番目に生まれた娘は、幼少時より母親である私に対して何かと注文の多い子であったからだ。娘にその情報を送り、「そんなことはあるの?」とメールで問うてみた。娘は、「あー合ってるかもー(笑)、でもそういうの個性とかチャレンジなんじゃない?なんてったって「帝王」ですから」との返事がきた。

 私は、30半ばになっている娘の余裕あるユーモラスな返答に、運命を引き受ける力が育っていることを感じ、安心した。
 家族をつれで夏休みの里帰りしていた息子にも同じことを聞いてみた。30代後半の彼は、「そういうことはない。人は、人生につまずいた時にそのような理由づけをするのだ」との意見である。うん、なかなかいい答えではないか。

 その息子が中学3年に上がる時、私たち家族は、沖縄から名古屋に引っ越した。息子はサッカー部に入ったので、私はサッカー部の母親たちと少しだけ接点があった。その中に、医師の仕事の都合で、陣痛促進剤を打たれて早すぎるお産を強いられたという母親がいた。その母親が言うには、そのひどいお産のお蔭で息子は、幼少時より問題ばかりおこすトラブルメーカーになったのである。そういうことはありうるだろうか。

 初孫が誕生した時、私は名古屋から福岡に会いに出かけた。私は、生まれたての素晴らしいそのまなざしに感動していた。その頃、古い友人が訪ねてくれたので、私たちは赤ん坊から離れておしゃべりに夢中になっていた。すると、しばらくして、目覚めた赤ん坊は「なぜ自分だけ置き去りにしているのだ」とでもいうかのように、泣くのではなく、声で知らせた。おしゃべりしていた私とその友人は驚き、「そうか、そうか、わかっているのだね」と本人の要望(?)に応じたのだった。

 娘が生まれた時にも、病院で同じような出来事があった。帝王切開で生まれた娘は、母親と同室ではなかったので、授乳のときだけ連れて来られた。私は手術の傷が痛かったが、わが子は本当にかわいくて幸せだった。看護婦がきて連れ帰ろうとした時、娘は、悲しそうな顔をした。看護婦は気がついて、「あら、嫌なの」と言った。
 
 翌日、同じ場面で、今度は、同じ看護婦がやってきて声をかけた時、看護婦に抗議するかのように「アン!」と怒りの声をあげた。看護婦と私は驚いた。生まれて間もない娘が、「ママと一緒にいたい」というメッセージを出していたのだ。けれど、当時の病院でのお産は、衛生上や母親の疲労を考慮するとの理由で別室が普通であった。

 胎児は母親のお腹の中でもたくさんのことを聞き、感じている。帝王切開にならざるを得ないとしたら、胎児に事情をしっかり話して聞かせて、臨みたかったと思う。私は娘から「天然ぼけ」と言われるが、赤ん坊だった娘のメッセージを受け止めながらも十分考慮しなかった。母親への娘の注文の多さは、むしろそういう母親を感じていたからかも知れない。

 帝王切開で子ども産んだ私自身にも別のドラマがあった。更年期障害で体調があまり良くなかった頃、自宅にインドのアユールヴェーダの医師をホームステイさせたことがあった。これはいい機会だと夫も私も身体を診察してもらった。私の診察は早朝の食事前の脈診によるものだった。私の脈からの情報で、医師は、「あなたの更年期障害はお産が関係しています」と言った。3度も帝王切開をしたことを知らない彼にそう言われて、私はびっくりだった。

 帝王切開が母親自身にもよくないということはほとんど考えたことはなかった。身体が癒されない痛みを抱えていたのだろうか。考えてみれば、3度もお腹を切りさいておきながら、子宮のことは何も考えたことがないし、感謝したこともなかった。おそまきながら、私は子宮にあやまり、許しを請い、感謝した。私は、自分の身体(子宮や胃など)をいたわり、大事にし、話しかけるようになった。身体はこちらの思いによって変わってくれるものだ。近代科学者は、一笑に付すだろうが、思いや祈りのエネルギーは、心を癒し病気を治す力があると私は体験から信じている。

 人生に問題はつきものである。出産のあり方が、その子どもの一生に影響するとしたら、そのことだけではなく、全体的な、あるいは他の要因も考えなくてはならない。子どもの問題を生まれ方(お産のあり方)という一つの原因に還元して考えることには無理がある。その子のいる環境、関係こそが問われるのではないか。

 しかし、言語を持たない幼少時は、自分の体験を意識化するのがむずかしいので、身体に体験として残り続ける可能性はあるだろう。胎児や乳児であっても、何も知らないと思わずに、話しかけながら共に生きることが重要である。同じことは自分の心と身体との関係にも言える。共に生きること、それはホリスティックに、聖なる気持ちで、つながっている命を生きることである。
  


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2013年08月17日

宇宙を見つめる 

宇宙をみつめる

顔は描く人の心が表れるように思う。
近頃の自分の心や憧れを見つめたくて、描いてみた。
これまでと違うムードの顔になってちょっと満足である。
天に通じる点描の世界に顔をいれてみた。
久しぶりのうきアートである。  


Posted by 浅野恵美子 at 14:50Comments(3)うきアート

2013年08月15日

心の宇宙散策73 男女共同参画シンポジュウム

 8月10日(土)、てぃるる(沖縄県男女共同参画センター)で上のタイトルの講演とシンポジュームがあり、興味深く聞かせていただいた。
 私も学生の頃は、「仕事も結婚も子どもも欲しい、それができないとしたら社会の問題だ」と強気で突っ走り、いろいろな困難にぶつかったが、願い通りに進んできたと女性運動をなつかしく思い出した。

 基調講演は、喜納育江(琉球大学うない研究者支援センター長)で、シンポジストは、山内末子(沖縄県議会議員)、當眞梓(株・かりゆし事業本部総務部総務課、事業管理担当マネージャー)、仲本豊(株・仲本工業社長)、松本哲治(浦添市長)の4人、コーディネーターは、稲垣純一(沖縄女性財団理事・国際電子ビジネス専門学校校長)の方々であった。
 日本の男女格差指数は、136カ中、131位だそうで、国際的にみるとかなり遅れている国に入るようである。しかし、人間開発指数は12位であり、女性の教育水準は高いにもかかわらず、社会で活用されていないことが問題である。女性研究者の率も13.2%と、米国の34.3%と比べて低い水準である。

 私が、短大で保育や生活経営などを教えていた時に、一番気にしていたことは、仕事が最優先になって家庭生活や育児がおろそかになっている人々の暮らしぶりであった。私自身は、仕事と家庭の両立を大事にしていたつもりであったが、今、振り返ると研究も教育も子育ても楽しくやりがいがあったものの、結果としてはせかせかと仕事に追われ、家庭が二の次になっていたと反省するばかりである。家族生活の為の時間を十分取れない言い訳を「量より質」などと考えていたが、子育てにおける生活の質(Quality of life)を甘く見ていたと思う。今、ゆとりをもって過ごせるようになって、生きていることの豊かさを感じられるようになり、自分の心の影(これまでの生き方のつけ)ともつながれるようになってみると、はっきり分かるのである。
 子どもの育ちにとって、人にとって、一番大切なことは「今・ここ」であり、その時々が幸せで、その時々の輝きがあることである。人生の不思議に開かれ、人生を楽しみ、味わうホリスティックな聖なる心である。

 それなので、今回の話の中では、「ワークバランス」という言葉がもっとも心を引かれた。私には、大学生のアルバイト相談によって、利益を出すことに必死で、若い大学生に厳しい職場の上司たちの姿が見えていた。従業員によっては、上司から「仕事が遅い、能力がない」と叱られてサービス残業でおぎなっている場合もあるようだ。
 このような厳しい企業が多い中、當眞梓さんの会社((株)かりゆし)の労働環境には驚きと感動を覚えた。従業員は、65%が女性であり、育児短時間労働制度、1か月変形労働制度、1か月休業制度、昇格は上司とは関係なく自分で役職にエントリーして試験を受けるようになっている。理由を問われることなく休業できる制度もある。育児+介護を支援する制度もあるというからびっくりである。さすが、沖縄県が認定した「ワークバランス認定企業第4号」である。

 ちなみに、県が認定した企業は28社だそうである。生き残る企業とは、利潤を優先だせて労働者をこき使う企業ではなく、このように従業員の人間らしい暮らしを保障し、それぞれの持ち味を創造的に発揮する環境が整えられている企業である。このような生活者にやさしい企業こそが、働く人の力を引き出し、生きる活力と希望を与え、持続可能な企業、生きる希望のある持続可能な社会へと導く力である。
 
 私が考えたいもう一つの問題は、表向きには、あまり問題にされない男や女の内面の問題である。男と女は共通性が大きいとはいえ、異文化的な関係と見た方がいい。文化が違うと考えれば距離感をもってかかわれるが、同じと思っているとなかなかうまくいかない。登壇した3人の男性陣は、女性をたてて遠慮がちに発言をしておられるように見えた。女性が男性に学び、男性が女性に学んで、両者が「男女両性具有な心」になる必要がある。

 コーディネーターの稲垣氏は、日本経済新聞が女性問題をしばしば取り上げるようになっており、「経済界に女性登用の大きな風が吹いている」と励ましておられた。男だけの集団に女性が一人でも入ると集団は違っていく。逆の場合も同じである。喜納郁江氏も話しておられたが、女性(生活者)やいろいろな人が、あらゆる分野に入ってこそ、企業も社会も健全になるというのは本当である。
 
 私は、カウンセリングにかかわっている為、人間の心の光の部分以上に影の部分をみることが多いためか、盛り上がりに欠けている女性運動の盲点は何かを考えている。女性相談では夫との関係をめぐるものが大半である。どんなに人に優しい社会になって、制度が整えられたとしても、心の問題は経済や環境に還元できないものがあり、心が解決されねばならない。人間関係のセンス、心の影へのケア、心の平和力が問われている。

 従来の近代的な市民運動は、理念先行、言語先行できていると思う。それだけでは多くの女性の心は動かないのではないか。建前民主主義ではなく、生活者中心の民主主義の成熟が問われている。また、古代から脈々と受け継がれてきているスピリテュアルな観点も重要である。地球市民を超えて宇宙市民的な心(祈る心)なしの平和力は考えられない。

 プロセス指向心理学を創始したアーノルド・ミンデルは、わだかまりのある状況や、通常の公共の場でのやり取りでは尊重されにくい、感情や個人的な体験を十分に大切する深層民主主義(Deep Democracy)という考え方を提唱している。今日の孤立化を促進しやすい結果重視の競争的な社会システムの中、意識的に個人的な体験や感情を大事にして、人々の本当の願いを開きながらの民主主義が求められているのではないか。
 それは、日々の労働や家族関係において、自分の尺度で人を評価せず、関心と祈りをもって、共に生きる社会に向かって、友情と連帯を育んでいくことである。
  


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2013年03月16日

心の宇宙散策72 絶望、そして希望としてのフクシマ

 

 ジャン=リュック・ナンシーの「フクシマの後で」(渡名喜庸哲訳、以文社)を読んで、彼の難解な言説の中に、時代の風潮に適応できないできた自分の気持ち、無力感への回答が与えられたようで、わが意を強くしている。

 私は、今の時代の金次第の風潮には気持ちが合わせられない。例えば、なぜ、交通事故での人の死に金が払われるのか。死亡保険金は、身分や性差や年齢によって慰謝料が計算されるようだ。男の子と女の子では、払われる額に違いがある。我々の気持ちとはまったく関係ないところで、命が金額で解決されていた。お金では、解決できないことをお金で解決していくことで、人の心が荒んでいくと思えてならない。
 私は、幼かった頃、働けなくなって殺され、食用にされた家の馬のことを思い出す。貧しかった両親は、子どものための苦労はおしまなかった。何とか、お金を貯めて、りっぱな馬を買った。車代わりに働いてくれたその馬のお蔭で、家族の暮らしは少し楽になった。けれど馬が、働けなくなった時、馬は食用に売られた。
私は、何も知らされずにその馬の肉を食べたが、父は涙を流して、その肉を食べなかったそうだ。父は、自分たちの都合で、愛する馬を食用に売ることが辛かっただろう。お金では人の心は報われない。

 ナンシーによると、3、11での福島原子力発電所での事故は、政治や原発管理者の不注意などにあるのではなく、世界中の国に及んでいる資本主義文明そのもののいきづまりを語るいい例である。  
今日の世界の資本主義体制には、フクシマのように「後がない」。つまり、未来が見えない。人類は、自分たちが管理できない危険な原子力技術をうけいれ、地球を放射能で汚染し続けている。先にあるのは、人間と地球の破壊である。
彼は、マルクスの研究を引きついで、この時代が地球的規模で、危機に落ち入っていること、科学主義、貨幣中心の現代文明には未来がないこと、貨幣という一般等価物がわれわれの暮らしの、存在のあらゆる領域を吸収していること、それために、人間を含むあらゆる存在が金に換算され、その意味と輝きを無化されているなどと指摘している。

 今の時代の中で、人々は、私自身もそうだが、自分という存在の危うさ、耐えられない軽さを引き受けながら、生きる意味を探している。
貨幣体制は、物事のかけがえのない特別な意味を無視して、何でも値段に換算することで、世の中を動かしている。それは便利でもあり、人々はそれにすっかり慣れている。しかし、人の心は、問われず、値段だけが横行していく。愛する馬も、愛して育てたリンゴも、単なる値段と化してしまう。特別な場合を除き、物や人の物語は重要ではなく、値段だけがはびこっていく。
 小学5年生のクラスで、想像的にマジックボックスを用意し、何でも好きなものを取ってみるワークを与えたことがある。驚いたことに、一番欲しいものはお金とそれにまつわるものばかりであった。例外的に、「転校生」というものもあった。1学年Ⅰクラスしかない小規模校であったからだ。その時、私は、お金の力を知っている生徒の前で無力感を味わっていた。

 ナンシーは、マルクスのいう一般的等価性という貨幣体制、すなわち何でも同じようにお金に換算していくこのあり方に、「存在論的なレベルでの暴力性」を見ている。物事の一つひとつ異なる特異性を無化し、同じように扱うことが、今日の個人化した冷ややかな人間関係を招いている。稼ぐ力とは関係ない一人ひとりの存在の輝きを、互いに認め、与え合えなくなる時、人は孤立し、生きる意味が分からなくなる。ナンシーが書いているように、この社会システムの中で、「われわれは意味の破局へとさらされているのだ」(前掲書p29)
しかし、絶望は希望でもある。絶望を知る者は、絶望への道ではなく、希望を選ぶことができる。では、私たちにとって、いま、何が希望なのか。
 ナンシーは、「いま」を生きること、それぞれの特異性、事情の違いをみつめて、差異を尊重することであるとしている。それは、難しいことでも、特別なことでもないだろう。日々の暮らしの中で、各人が、金に換算できないさまざまな思いや喜びをみつめ、つながり、今という大自然の無限に心を開き、それぞれの命の躍動や輝きをいとおしみ、支え合い、響きあって共に生きていることである。そこから、生きている意味が生まれ、資本主義文明の後も生まれてくると思われる。

 大きな視野から生まれる大きな物語がない中、私たちは新たな文明転換へと生き方(=小さな物語)を変えていくように導かれている。いま、ここの一人ひとりの小さな物語から新たな持続可能な文明が生まれてくるだろう。私たちの命は、孤立してあるのではなく、つながり響きあって、動いている命であることの自覚が重要である。

 注:カタカナの「フクシマ」は、日本の福島が世界に知られ、特別な意味もって国際語になったという意味が込められている。
  


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2013年01月25日

心の宇宙散策70 知的な情報処理によって変化する感情

 昔、ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)の EQ(Emotional Intelligence)(感情知能)の本を読んだことがある。知能とは違う感情知能という考えには皆が注目していたが、私自身は当たり前のように思ってさほど注目していなかった。
 感情知とは、①自分の本当の気持ちを自覚している、②不安や怒りのようなストレスのもとになる感情を理解する、③失敗しても悲観的にならず、自分自身を維持する、④他人の気持ちを感じとる、⑤集団の中で自分の役どころを自覚して、協力できるなどである。

 先日、ファミリーサポート・アドバイザーの皆さんに講義とワークショップをする機会があった。そこで、この感情知能について考えさせられたので書いてみることにする。
 私は、ワークショップで「励ます」というテーマで、グループ毎に演技して考えるロールプレイを与えた。ロールプレイは、励ましを受ける主役1人に、3人が励ましの言葉をかけるという設定であった。私が入ったグループでの主役は、不登校ぎみの中学生(K)であった。周りの3人は家族や親せきで、「休んでもいいよ」とか、「まけないでがんばって」などそれぞれに言えることをいろいろ口にしたのだが、主役は、それらの言葉かけがちっとも励ましにならないと感じた。
 
 主役をした人は、自分の姪(K)の気持ちになってそこに座っていた。そして、自分自身がKに言った励ましの言葉も姪の立場に無知だったと感じ、下手な励ましをしたことをあやまりたいと思ったほどであった。不登校のKにとっては、周りはいろいろ言えるかもしれないが、結局は自分自身が引き受けていくしかない面倒な問題である。Kの役になってみて、Kの立場が分からないままにいろいろ励ましてみても、本人が自分自身で折り合いをつけていくのを邪魔するだけではないかと感じたのである。特に思春期は、自己決定が重要な時期である。

 プレイの後、実際の事情を聞いたが、実は、不登校だったKは学校でいじめる友達に悩んでいた。その友達は、身近な友達なのだが、Kの幸運や喜びを何度もじゃましてKを困らせていた。そんな嫉妬からくると思えるいじわるはどうして起こったのだろうか。

 私は、1歳や2歳に起こるH・ワロンのいう混同心性(認識と感情の未分化)を思い出していた。例えば、子どもたちに同じボールを与えて遊んでもらった時、ある子どもはいきいきと遊ぶが、遊べない子どももいる。その時、遊べない方の子どもは、いきいき遊んでいる子どもがうらやましくて、その子のボールを取り上げることがある。欲しいのは、いきいき遊ぶことなのだが、友達のボールを奪うことになってしまうのである。
 ボールを奪う子どもは、相手がうらやましいのだが、その自分に起こっている感情を知的に理解することができていないのだ。Kは、この幼児期の心と同じであろううらやましがる友達に振り回されていると思われた。
 
 考えてみると、幼児期ならまだ幼いからですむ問題であるが、中学生、否、大人になっても感情の知的な情報処理ができないままでいることは珍しくない。

 すでに大人になっている子どもが親に八つ当たりすることがある。夫婦の間でもストレスから暴力的な言葉や態度をみせて、結果としてDV(家庭内暴力)になることもよくあることである。感情の言語化(知的処理)ができておらず、自分の問題を自分で引き受けることができていないのだ。それは甘えの関係がさせている面もあるだろうが、感情知能は、言語知能と違って、育ちそびれていても教えることはむずかしい。そして、感情知能の未熟さは、何をしでかすかわからないところがあって危険ですらある。

 私たちは、日ごろから、自分に生じる感情をみつめ、知的に意味づけていかねばならない。感情の起こるルーツ・人間関係をよくみつめることができると感情が暴走することはない。矯正教育を受けている子どもたちが、何か月も少年院で暮らし、自分をみつめさせられ、更生していく姿は、感情知能の発達が大きいのではないかと思う。

 人生においては、感情のケアは重大である。人は、自分の気持ちを表現し、言語化することを通して、落ち着いてくる。他者の感情も関係状況を意識して、その人になって演技してみるとはっきりと分かってくることが多い。
 カウンセリングも感情知を開発する場のひとつである。他人や自分のひとつ一つの感情とていねいに向き合わねばと改めて発見し、反省した次第である。
  


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