2014年01月02日

心の宇宙散策76号)


世界を言むけ和す(ことむけやわす)

 2014年が明けたが、沖縄には単純に正月を喜んでいられない空気が流れている。暮れに、県知事の仲井真弘多が、明確な根拠を示すことなく、日本政府にお金で懐柔されて、独断で辺野古の基地建設を許可したからである。沖縄はいつまで戦争の為の基地を押し付けられるのか。多くの心ある県民は、怒りと憤りと無力感に翻弄されているだろう。このようなことがあっていいのか。正義というものがないこの状態をどう受け入れるのか。
 しかし、意地・自我や言葉だけで平和運動をしていてはいけない。平和を招くための行動は、自己の内面に平和が構築されていてこそ持続可能である。私たち一人ひとりの心に、何が起こっても平和を選び、いつも平和に、共に生きる覚悟が必要とされている。沖縄人の肝心と意地をみせ続けていきたいものだ。

 私は、ある霊能者Gさんとの出会いから霊界物語を知り、飯塚弘明著「超訳・霊界物語」太陽出版(2013年1月出版)と出会い、読んでみた。霊界物語は、出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう・大本教の教祖、霊能者、予言者)によって書かれている。ちなみにもう一人の教祖は出口直である。霊界物語の内容は、古事記のスサノオの神様が、地球上を我が物顔でのさばるヤマタノオロチを言向け和す(ことむけやわす)ことで、地上天国「みろくの世」を成就させる物語だそうである。ただし、暴力で世の中を平定しても、次のトラブルの種になってしまうではダメである。これが一番肝心なことなのであるが、これについては、若き日の暴れん坊、王仁三郎(幼名・上田喜三郎)を諭す祖母の語りかけが分かりやすい。

 物語は、若き日の王仁三郎が、弱者を助け強者をくじく任侠のように行動していた頃のことである。地元のヤクザとの9回目の大ゲンカの後、顔をつぶされたヤクザの若錦たちがやってきて、彼を袋叩きにし、大けがを負わせる。彼は親を心配させたくないと小屋に隠れて寝込んでいた。そこへ、それを聞きつけた母親と祖母がやってくるが、祖母が次のように話して、喜三郎を「言向け和す」(ことむけやわす)のである。

 「・・・侠客だとか人助けだとか言ってたまに人を助けても、助けたよりも十倍も二十倍も人に恨まれて、自分に災難が降りかかってくるような人助けでは・・・。昨夜のことは全く神様がお慈悲の鞭をお前に下して、高い鼻を折って下さったのだ。決して若錦や他の人を恨んではなりませんぞ。一生の恩人だと思って、神様にもお礼を申しなさい。・・・これからは心を入れ替えて誠の人間になっておくれ。」(上掲書 p42)
飯塚氏は出口王仁三郎の長い霊界物語83巻を電子図書化して誰にでも無料で公開している。私には、その膨大な内容は、まだわからないことだらけである。けれど、何よりもこの「無抵抗の平和主義」が気に入った。

 今の日本には、平和憲法(憲法第9条)を改正して戦争ができる国にしようとする政治家たちの不穏な気配がある。沖縄の人々は戦争が起こったら困る、基地のある自分たちの島が最初に攻撃されるかもと心配している。しかし、戦争は、単に政治や経済だけでの原因ではなく、人々の心の内側が乱れ、汚れ、戦争状態になっている時に起こると思われる。人は、内なる戦争状態から、外なる敵を見つけ出すものである。地球市民の一人ひとりが、戦争を起こさせない内面的な力を構築する必要があると思わずにはいられない。それは、どんな危機的状況がきても、身近な人々と共に、いま、平和に生きていく力である。

 飯塚氏によると、霊界物語や古事記などの神話は、現世との合わせ鏡であると言う。天上で起こることは地上でも起きるのである。「うしとらの神」とされている地球世界をおさめる正統な神様=国祖が、さまざまな謀略によって隠退を余儀なくされ、閉じ込められる物話(トイレの神様、鬼・般若にされる)も驚きである。権威ある神様なのに、かくも騙されやすいのかと思ってしまった。厳格で実直なだけではダメだったということらしい。他の善なる神も、邪神に変身していく物語も多く語られている。

 社会学者の上野千鶴子によると日本の神話・古事記は、「この世の統治者が誰であるべきか」(現代思想「古事記 総特集2011,5月臨時増刊号)を問うている物語であるそうだが、今日の日本社会でもまさにそのことが問われ続けている。スサノオのよしとする統治者とは、「世界を言向け和す」、つまり、暴力ではなく、騙しでもなく、言霊で平和を築ける神である。善が善である為には、多くの山を越えた叡智が必要である。

 「・・・・・神はいかなる罪人(つみびと)にも
  面(おもて)を背け排斥し
  怒りて精霊(みたま)を地獄界へ
  決して堕とすものならず
  そのゆえ如何(いかん)と尋ぬれば
  善と愛とは主(す)の神の
  珍(うず)の身体(しんたい)なればなり
  善の自体は害悪を
  決して加うるものならず
  愛と仁とは何人(なにびと)も
  排斥すべき理由なし・・・・・・・」 (霊界物語 第56巻第1章「神慮」)
        (飯塚弘明「霊界物語スーパーメールマガジン」から引用 )



Posted by 浅野恵美子 at 17:26│Comments(3)
この記事へのコメント
恵美子先生

 「世界を言むけ和す」、素晴らしいメッセージですね。平和を構築するのは容易なことではありませんが、「言むけ和す」の理念を貫けば、何とかなると思います。
 沖縄は今、大変な局面を迎えていますが、沖縄の県民ひとりびとりが全身全霊で平和の火を掲げ、暴力ではなく「言むけ和す」のスピリットで基地問題やその他の問題等に対峙したらきっと良い結果が生ずるものだと確信しています。
 しかし、世の中は不条理が罷り通っています。我々ひとりびとりが強靭な精神力を保持しながら、あるべき姿、正義を希求するために邁進すべきだと痛感しております。
 心ある有志がともに手をとりあって平和を構築していきたいものです。
今年もいいエッセイを執筆してくださり、ありがとうございます。先生のおかげで少しはましな人間になれそうです。多謝。
Posted by 比嘉美代子 at 2014年01月05日 16:38
ご著書を検索していましたら、ブログを発見しました。読者登録しました。今年もよろしくお願いします。
Posted by ノブキ ソウイチロウ at 2014年01月13日 23:53
はじめまして林と申します。熊本在住のミャークンチュウです。飯塚先生のメールでこのブログを知りました。飯塚先生の言むけ和すの勉強会に参加させていただいております。沖縄でこの言むけ和すの勉強会ができたらどんなに素敵でしょうと思ったりもしました。  アイムアオキナワン 私の支えでした いえこれからもそうです。共に前進します。
Posted by 林 みさこ at 2014年01月15日 00:24
 
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