内なるよぼよぼ神
朝の連続テレビ小説「鬼太郎の女房」が放映されていた頃、私は、水木しげるの「貧乏神」に刺激されて、自分の内なる「よぼよぼ神」と向き合っていた。
私が名づけたその神は、疲れはてて死を望み、やる気を奪い、ねむりへと誘う力であった。
私は、外にいるときは元気であったが、家では気抜けして、気持ちよく横になっていることが多かった。
なまけなのか、わがままなのか、私は我ながらこれでいいのかと困っていた。
大学の同窓会でこの内なる「よぼよぼ神」のことを話題にすると、皆のそれぞれのつかれはてた気持ちや健康問題が話題になり、話が盛り上がっていった。年齢のせいなのか、仕事がらくになって気がぬけているのか、身体の問題なのか、心の問題なのか。これは医者で解決できる問題ではない。心理劇が好きな私は、「よぼよぼの神」と対話してみることにした。
質問:
よぼよぼ神さん、あなたが現れると、私は、横になって何時間も眠り込んでしまいます。けれど、横になっているとやるべきことや、やりたいことやアイデアも浮かんできます。あなたが、邪魔で困ると思っていたけれど、私の抱えている見えない何かを背負っていてくれているのですか。一体何が不満なのでしょう。自然の豊かな環境の家でくらし、贅沢ではないけれど健康な食事をし、忙しすぎることもなく、いい仕事もあって、お金の心配もいらないという理想的な暮らしです。個性的で誠実な夫は、私がやりたいようにさせてくれているし。人もうらやむストレスのないいい暮らしだと思うのですが・・・なぜですかねえ。
よぼよぼ神の回答:
えみこさん、私は、多分あんたがやり残していることです。終わっていない物語がたくさんあります。私があんたの代わりに背負ってあげているのです。長い人生の中でためてしまった荷物が重くなって前へ進めないでいます。横になると、あんたはその荷物から自由になって、まともに物が考えられるのです。それにあなたは、義務とか責任とかを優先していて、自分自身の人生よりも仕事や周りや他人を優先させています。過去から解放されない限り、生き方が変わらないかぎり、あなたは私を必要とするのです。
この文章は、かなり以前に書いてすっかり忘れていたが、コンピューターを整理していて再会し、少し手直ししたものである。この対話法は、少年院などの教育でよく使われるロールレタリングでの自己探求に近いやり方である。私は、心理劇ののりで、このような見えない存在と日記でよく対話をしていた。
考えてみると、私は、このロールレタリングの続きを実生活でやっていたらしい。近頃、なぜか自分の内なる自我や過去のうらみなどが露わになって出てくるのだ。湧き上がる怒りや涙。自分はこんなつまらないことをまだ気にしているのかと情けない。悔しかったたくさんの出来事、それを見ないようにしてきた私。現実に直面することを避け、理想だけをよしとして、自己を抑圧してきたのかも知れない。
私は保育園で出会った4歳の男の子とのことを思い出す。彼は両親の離婚後、父親に引き取られ、父親の実家で暮らしていた。保育園での彼は、落ち着いていられず、友達と喧嘩し、何かと手のかかる子どもであった。彼のクラスを訪問した時、彼はすぐに外来者の私に関心を示した。私は気をよくしてその子と仲良くなって遊んだのであるが、キュービックマムのカラーセラピイの教材を与えた時、中心からではなく、まわりから色をおいていったことに気付いた。彼は、周りのことをまず気にしてしまう子どもだったのである。
私は、彼と私は同じであると直感した。自分らしく自然でいることができず、周りへ過剰なきづかいをしてしまうのだ。
だから、外来者の私にすぐに関心を示したのだろう。この子は、両親や周りの緊張が気になって、子供らしく自己中心でいられず、周りを伺うのだろうと思えた。人間関係の不安や葛藤の中にいる子どもは、おちついてはいられないのだ。
私の場合、両親は7人の子供を愛し懸命に育ててくれたが、貧乏でお金をめぐっての喧嘩が絶えなかった。その喧嘩を見る度に、幼かった私は泣いて喧嘩しないでと頼んでいたように思う。そして、周りのことを気にしすぎるようになったのかも知れない。人は与えられた運命から、人生のテーマをみつけて発達するのだと思う。
幼い日の私は、「人は皆仲良くできるはずだ、仲よくせねばならない」と強く思い(願い)こんでいた。そして、それが私の人生の重要なテーマになったのである。思い返せば、私の人生は、そのテーマを軸に進んできている。
一人静かにすわって、まわりに翻弄されぎみな自分、自我にとらわれてきた自分をただひたすら真剣にみつめていると、内なる影であるよぼよぼ神は、力を失っていった。まだ現れることはあるが、それほど強くはない。そうして繰り返されてきた私の生きざま・過去のつけが、清算されてきている。
瞑想では、自分の心をひたすら観察し、受け入れることが重要である。いいとか悪いとかではなく、ただみつめ、すべてを受け入れていけばいいのだ。抵抗しないで受け入れていると、本当の自分になり、ナチュラルパワーが動き出すのではないか。今や、内なるよぼよぼ神は、排除の対象ではなく、よき友達である。