心の宇宙散策58 他者のまなざしの影響

浅野恵美子

2011年05月12日 17:14

 最近、多重人格をテーマにした「阿修羅」という小説を読んだ。作者は、テレビでも活躍しておられる坊さん作家の玄有宗久氏である。彼の中で、三つの顔をもつ阿修羅と多重人格がつながり、多重人格について調べ学んだ上でこの小説を書いたようだ。
 
 その小説の中で精神科医たちが「医原」ということを話題にするくだりがある。担当医は、多重人格障害と思われる自分の患者を多重人格と思い込むことによって、たとえ口にしなくても、患者がそれこそ多重人格になってしまうのではないかと気を使っていた。医者の診断のまなざしが病気を容認し、患者に病気の根拠を与えてしまうのではと危惧しているのだ。この考え方は、非常に重要な観点であると私は思っている。

 青木省三も沖縄で開催された平成22年メンタルヘルス研究協議会での講演で同じようなことを指摘している。・・・その人の前にいくと「アスペルガー症候群」らしくなるという場合さえあるのではないかと思う。「障害特徴のように見えても、私が作り出している側面もある」という自覚も必要なように思うのである・・・このように、人の性格は変わらないものではなく、みる人のまなざしや関係次第で変わるのである。

 人間は、自分の尺度で他者を判断し、その判断で人をみて、自分の判断に呪縛されることがある。そう思い込むとそのように見えてくるから不思議だ。そして、相手はその期待に無意識に応じてしまう。それは、相互の言葉(認識)と心がもたらす魔力ともいうべき現象である。反対に、相手に対する愛のまなざしが、相手との関係に作用し、奇蹟的にいい性格を引き出すこともまれではない。

 相談では、カウンセラーは冷静な第三者的な鏡として期待されるが、来談者の状況に巻き込まれ、感情的にまざりあってしまうこともある。日常の人間関係でも、人は他者の人生に巻き込まれ、相手を憎んだり非難したり、受け入れられないと思ったりする。相手の欠点だけが目について、その人さえいなければうまくいくのにと思ったりするのだが、そこには、むしろ自分の側のまなざしが作用していることがある。

 みえっぱりでわがままな友人に困っていたある学生は、その友人が嫌いで大学に来たくないほどであった。分析していくと、友人は大好きで大嫌いな彼女の祖母にそっくりであった。彼女は、好きで嫌いというアンビバレントな感情をもっている祖母的な人格と出会う必要があったようだ。この嫌な出会いは、彼女にとって、自分をみつめ自己の再構築を促すチャンスであった。自分自身の眼の曇りを払い、明鏡止水のような心で人と出会っていきたいものである。